観世清和(かんぜ・きよかず)/1959年生まれ。82年、東京芸術大学音楽学部卒。90年、家元を継承。二十六世宗家になる。2015年、紫綬褒章を受章 (c)朝日新聞社
観世清和(かんぜ・きよかず)/1959年生まれ。82年、東京芸術大学音楽学部卒。90年、家元を継承。二十六世宗家になる。2015年、紫綬褒章を受章 (c)朝日新聞社
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同級生から「宮さま」と呼ばれていた学習院初等科時代、三菱鉛筆の工場で鉛筆作りの工程を見学した/1969年3月4日、横浜市神奈川区で (c)朝日新聞社
同級生から「宮さま」と呼ばれていた学習院初等科時代、三菱鉛筆の工場で鉛筆作りの工程を見学した/1969年3月4日、横浜市神奈川区で (c)朝日新聞社

 5月1日に即位した天皇陛下。学生時代の同級生である観世清和さんは「責任感がお強い」とその素顔を明かす。

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 能楽観世流二十六世宗家の観世清和さん(59)は、学習院の初等科から高等科卒業まで12年間、新天皇と同じ学舎(まなびや)で過ごした「ご学友」だ。

 新天皇がまだ「宮さま」と呼ばれていた学習院初等科時代、社会科見学で一緒に少人数のグループ活動をした時のことを、よく覚えている。

 班で決めた集合時間を過ぎても、1人の男子児童が来ない。しばらく待ったが皆じりじりしてきて、誰かが「もう行きましょうよ」と声をかけた。その時、浩宮さま(当時)が「いや、もう少し待ちましょう」と引き留めた。

「今行ってしまうと、その子が後で来た時に、みんなどこに行ったのか全然わからなくなってしまうでしょ」と。

 その後少ししてその子はやってきて全員で出発できたという。

「陛下はお小さいときからそういうところがありました。いつもは俺が俺がではなく、むしろ素朴で控えめでいらっしゃるのですが、肝心のところでリーダーシップを発揮された。とてもきめ細かく配慮が行き届くというか、責任感がお強いというか」

 と観世さん。

 能を大成した観阿弥・世阿弥父子を流祖とし、約700年の歴史を背負う家柄だ。父親がつける能の稽古があるため、初等科時代も放課後はまっすぐ帰らなくてはならない日も多かった。一方、当時は野球が流行(はや)り、20分程度の放課後遊びを男子は誰もが楽しみにしていたという。

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