小島慶子(こじま・けいこ)/エッセイスト。1972年生まれ。東京大学大学院情報学環客員研究員。近著に『歳を取るのも悪くない』(養老孟司氏との共著、中公新書ラクレ)、『幸せな結婚』(新潮社)
小島慶子(こじま・けいこ)/エッセイスト。1972年生まれ。東京大学大学院情報学環客員研究員。近著に『歳を取るのも悪くない』(養老孟司氏との共著、中公新書ラクレ)、『幸せな結婚』(新潮社)
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2013年1月に完成した生涯学習施設には図書館が常設され、「コアラ館」という愛称で親しまれている (c)朝日新聞社
2013年1月に完成した生涯学習施設には図書館が常設され、「コアラ館」という愛称で親しまれている (c)朝日新聞社

 タレントでエッセイストの小島慶子さんが「AERA」で連載する「幸複のススメ!」をお届けします。多くの原稿を抱え、夫と息子たちが住むオーストラリアと、仕事のある日本とを往復する小島さん。日々の暮らしの中から生まれる思いを綴ります。

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 宮城県南三陸町の成人式で講演をしてきました。南三陸町と私の出生地でもあるオーストラリアには意外な縁があることを知りました。

 震災直後に南三陸町に入ったのはオーストラリアから派遣された救助隊だったそうです。過酷な現場で懸命の救助活動を行い、翌月には悪天候を押して当時のギラード豪首相が町を訪問。町で最初に完成した復興施設は、オーストラリア・ニュージーランド銀行の支援で建てられた生涯学習施設でした。以来、毎年の慰霊祭に豪大使館員が参列し、親交を深めているそうです。

 佐藤仁町長は、津波で骨組みだけになったあの防災庁舎の屋上から生還。幼い頃にはチリ地震の津波で家を流されたそうです。畳につかまって流され、建物の鉄骨に引っかかって助かった人、渦の中で電線を掴んで生き延びた人、波にのまれた防災庁舎の屋上で写真を撮り続けたカメラマン。皆がサバイバーです。

 新成人たちは、震災の時に小学6年生でした。身内を亡くしたり、長い仮設住宅生活を送った人もいます。集中して講演に聴き入る凜とした姿に胸を打たれました。

 町の人からこんな話を聞きました。町内の戸倉小学校では、震災2日前の3月9日に起きた地震の際、児童を屋上に避難させました。すると翌日、保護者から「校舎を超える津波が来たら助からない。山に逃げるべきだ」と電話があったそうです。その翌日の11日、約5分間続いた激震の後に、教師たちは児童を山に避難させました。その結果、学校に残っていた児童全員が助かり、校舎は波にのまれました。

 万が一を考えて意見をした人と、それをすぐに生かした学校の判断が子どもたちの命を救ったのですね。

 一方で高台の戸倉中学校では、まさかの山伝いに回り込んだ波で、町の人の避難を誘導していた教師と生徒が犠牲になりました。その生徒は去年、成人式を迎えるはずでした。

「もうすぐ8年経つけれど、今も毎日震災のことを考えます」。静かに語った町の職員の方の言葉が忘れられません。

AERA 2019年1月28日号