経済学者で同志社大学大学院教授の浜矩子さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、経済学的視点で切り込みます。
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7月の国会で「IR実施法」が成立した。IとRはそれぞれ“integrated”と“resort”の頭文字である。両者を合わせて“integrated resort”だ。日本語でいえば、統合型リゾートだそうである。
だが筆者にはどうもそうは思えない。IRのIが“integrated”のIにみえない。どうしても“iranai”のIだと思えてしまう。IRは、「いらないリゾート」だ。どうして今の日本にこんなものが必要なのか。皆目、わからない。 ところが世の中、IRで結構盛り上がり始めているらしい。後発国の日本は、これからダッシュでIR運営のノウハウをにわか仕込みしなければならない。そんな雰囲気になっていて、IRの海外研修などが多々企画されているのだという。
研修模様のルポがニュースで流れたりしている。そのうち、あちこちのテレビ局がIR特番を放映し、新聞・雑誌が特集を組むことになりそうだ。既にそうなっているのかもしれない。「統合型」といいながら、IRの目玉商品は明らかにカジノだ。筆者がテレビで観た研修模様の報道でも、もっぱらカジノが焦点になっていた。それに加えて、ド派手なショーやキャバレーなど。電飾また電飾。怪しげなきらめきの世界が盛んにテレビ画面を彩っていた。
いえいえ、IRの敷地内では国際会議も出来ます。映画祭なんかにもうってつけです。華麗なる国際交流と多様な文化が花開く場所。それがIRでございます。そんな紹介もされていた。だが、IRに咲く花々には、どうも毒々しさを感じてしまう。
なぜ、今の政府は「いらないリゾート」を造ることにこだわるのか。エコだ省エネだ節電だといいながら、なぜ、あの手のギンギンギラギラを日本のあちこちに設営しようとするのか。“resort”には行楽地という意味のほかに、「寄る辺」の意味がある。だから、“last resort”は「もはや、これだけが頼りの最後の寄る辺」の意になる。彼らには、もはや「いらないリゾート」しかすがれるものがないのか。それとも、これは国民を賭博の不夜城で精神的荒廃に引きずり込もうとする陰謀か。
※AERA 2018年10月29日号