オウム真理教の元代表・松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚の死刑が執行された。オウム真理教による地下鉄サリン事件から20年たった2015年、麻原の三女が、実名、顔出しで手記を出版。なぜ、そのタイミングで決断したのか。父との切れない「縁」を抱え生きていく思いを、週刊誌AERAに語っていた。当時のインタビュー全文を再掲する。
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オウム真理教での名前は「アーチャリー」。元教団代表の麻原彰晃こと、松本智津夫死刑囚(60)の三女の本名は、松本麗華さん(31)という。『止まった時計 麻原彰晃の三女・アーチャリーの手記』(講談社)では、父である松本死刑囚の事件への関与を「自分の中で保留し続けています」と打ち明けている。
――実名だけでなく、顔まで公表したのは、なぜですか。
父の死刑が確定し、これまでの人生について語ろうと決めました。最初はペンネームでとも考えましたが、ある方から「三女・アーチャリーと呼ばれ、また新たな名前をつくるのか」と言われ、もう隠れるのはやめ、名前も顔も出そうと決めたのです。「私の父は麻原彰晃です」と言って生きよう、と。
顔までさらすことは怖いです。私のような立場で顔を出す人はいませんから。私のような人間でも生きることを許してくれる日本だったらいいな、みたいな気持ちですね。
――地下鉄サリン事件が起きた時はどこにいましたか。
事件当日は(教団施設の)「第6サティアン」にいました。教団内は情報が遮断されていたので、地下鉄サリン事件が起きたのを私がいつ知ったかは記憶があいまいです。ただあの日、噂レベルでは「何かすごいことになっているらしい」という話が教団内に広がっていました。けれど、その時は11歳でしたから、実感はありませんでした。
●途方もない事実、でも大切な父
――オウム教団は数々の事件を起こし、多くの人命を奪いました。どう捉えていますか。
事件をオウムが起こした事実を、私は長い年月をかけ、徐々に受け入れてきました。どんな理由であれ、人の権利を奪うということは、殺人に限らず、してはいけない。それを肉親のように優しくしてくれていた人たちが実行し、多くの方々を苦しみに追いやった。そう考えると胸をえぐられ、本当に途方もないことをしたんだと思います。