――そんな優しい人たちが、なぜ凶悪事件を?
普通の人が人を殺してしまう「闇」とは何だったのか考えます。例えば、人より有利に立ちたいという思考も事件に影響を与えていると思います。そういう気持ちは私にもあります。その思いが大きいか小さいか、どのくらいの割合なのかという微妙なバランスによって、事件は起きるのだと思います。
ただ、報道されているように、破壊的な思想に基づく破壊的な行動であり、父が悪人で、それ以外の人たちは騙されて実行したという、この構図については疑問を持っています。
――事件の大きさを理解したうえでも、そう思いますか。
たとえ父が事件に関与していたとしても、私は父のことを大切に思い続けます。あなたの息子さんが罪を犯したからといって、息子じゃないと思えますか。そういう話なんです。私にとっては、大切な父です。
――手記では、オウムでの生活も否定していません。
私がこう言うことで、ご遺族や被害者の方々の傷をえぐることになるとわかっています。一般の方々から見れば、いまだに洗脳されているという位置づけになるかもしれません。でも、誰にも理解されないかもしれないけど、これが私の気持ちです。
世間には、矛盾していたらいけないという風潮があります。私自身も矛盾したままでいるのは苦しいです。でも、矛盾を抱えたまま、こういう悲しい事件が二度と起きないように、そしてオウムが起こした事件を風化させてはいけないと思って生きていくしかないんです。
――教団にいた16年とその後の15年では、どちらが幸せ?
「幸せ」という意味では、地下鉄サリン事件が起きるまでの11歳までです。「死にたい」と思わない日や、安心して楽しく遊べた日もありましたから。ただ、社会に出た結果、どうだったかと問われれば、大差はなかった、というのが正直な感想。社会にも「教義」のような「社会的な道徳」というものがあって、それを押しつけているという意味において、あまり変わらないという気もします。
●実名出すことで人生の次の章へ
――松本死刑囚と最後に面会したのはいつですか?
2008年4月11日です。(「パパ用」と書かれたノートをカバンから出して確かめる。手書きで<うでをくんで首をゆっくりと動かす。とつじょとして笑いだす>とある)
まさか最後になるとは思ってなかったので、しっかり覚えてないのですが、顔の皮膚が全部むけた状態。アトピーのように膨れ上がって……。壮絶でした。