「登頂を目指すタイミングとしては適切です。栗城さんがいたとされる南西壁の下部ならば、風も問題なかったはずです」

 一方で、低酸素状態が影響した可能性はある。栗城さんは酸素ボンベを使用せず、標高7000メートルを超える高度まで登っていた。日本登山医学会の会員で、登山トレーニングなどを行う「ミウラ・ドルフィンズ」の低酸素室トレーナーを務める安藤真由子さんは、詳しい状況がわからないのであくまで一般論、と前置きしたうえでこう話す。

「高い標高に体を慣らす順応作業にかかる日数は、標高7千メートル未満と7千メートル以上では大きく変わってきます。それだけ7千メートルという標高は体にとってのダメージも大きいのです。三浦雄一郎さんの次男、三浦豪太さんが過去に重篤な高山病の一種である肺水腫になったのも標高7400メートル付近でした」。

 栗城さんは有名なる前も、有名になった後も、自らスポンサー営業を続け、時に大きな借金も抱えながら登山を、そしてその中継を続けてきた。批判もあれど、愚直に生きた。

「栗城さんの生き方を見て、自分に限界をつくってはいけないと感じていました」(別の女性ファン)。

 NO LIMIT――。彼の著書のタイトルにもある言葉は、多くのファンの胸に届いた。(編集部・川口穣)

※当初低体温とされていた死因について、事務所は25日、下山中に滑落し、頭と全身を強く打ったためと発表しました。

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