「放送局という組織を守るのか、真実やジャーナリズムを大事にするのかという瀬戸際に立たされたとき、われわれの職責は『健全な民主主義の発達に資する』ことではないですか、と上司にも直言できるんです」

 永田教授は、放送法を「放送の現場で日々の仕事を守ってくれるリアルなお守り札」と表現し、「これを失えば、心ある記者やディレクターを苦しめることになる」と懸念を示す。

 どの政権も嘘をつくし、都合の悪い物事は隠す。だから報道は常に「中間報告」でしかない──。番組づくりの経験から永田教授は放送の限界も認識した上で通信との融合に異を唱える。

「ネットは事実に基づかない、悪意がベースにある情報も増殖させる空間です。自由競争に委ねればよいものが残り、ひどいものは駆逐されていくという、『人間は善』であることを前提にした議論って、やっぱり無理があります。ファンタジーで美しいけど、違うんじゃないかな」

 民主主義は自由に委ねることでも、規制でがんじがらめにすることでもなく、さまざまな模索を重ね、不断に律していくものなのかもしれない。(編集部・渡辺豪)

AERA 2018年4月30日-5月7日合併号より抜粋

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