カルビー3代目社長の松尾雅彦はこのヒットを、カルビーにとって「第二の成長ロケットに火がついた」と位置づけた。小池孝も、「コンソメパンチ」はカルビー最大のヒット商品であり、カルビーをさらに躍進させた、という見方で一致する。

 小池孝が湖池屋に入社するのは「コンソメパンチ」発売から2年後の1980年。その時点でカルビーの会社規模は湖池屋の10倍にもなっていた。

「うちはようやく名古屋と大阪に営業所を出したくらいだったので、全国ネットワークがない。関東と東北を中心に売っていました。カルビーさんは創業の地が広島ですから、西日本はめっぽう強い。だから西日本では、湖池屋よりカルビーさんのほうがポテトチップスの老舗メーカーだと思われていた」(小池孝)

 カルビー参入年に集計された1975年の国内ポテトチップス市場シェアは、湖池屋が27.6%で1位。しかし1984年にはカルビーが79.9%と圧倒的なシェアトップとなり、湖池屋はたった9.0%に激減している。それほどまでに、「うすしお味」(1975年)と「コンソメパンチ」(1978年)の“二段ロケット”は強力だった。

 2023年現在の40代後半から50 代で、「幼い頃にコンソメパンチを狂ったように食べた」「主食だった」と思い出深く語る人は少なくない。筆者もそのひとりだ。濃厚でクセになる味わい。食べ過ぎると胃にもたれるが(発売当時の内容量は90g。現在は60gなので1.5倍)、食べ始めるとやめられない麻薬性。「コンソメパンチ」には同社の「うすしお味」や湖池屋の「のり塩」にはなかった、2000年代以降の濃い味系トレンドにも通じるジャンクな魅力があった。

 となると、俄然興味が湧くのは「コンソメパンチ」誕生の経緯である。当のカルビーによる“公式”の説明は以下だ。

「うすしお味・のりしおの発売後にさらなる成長をはかるべく、新たな製品ラインとして発売しました。フレーバーはどなたからも親しまれるカルビーならではの味わいを模索。ジャガイモのおいしさを引き立てる味わいとしてコンソメにたどり着きました。コンソメスープは、牛肉を主体にタマネギ・セロリ・スパイスを長時間煮た、コクのある味わいと透明な色合いで、どなたにでも好まれる味だったのです」

 ただ、同業者界隈からはこんな推測も聞かれた。

暮らしとモノ班 for promotion
【10%オフクーポン配布中】Amazonのファッションセールで今すぐ大活躍する夏のワンピやトップスを手に入れよう!
次のページ
「日本人の舌にはなじみ深い」