

元朝日新聞記者でアフロヘア-がトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。
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言葉の全く通じぬリヨンでの長期滞在から何とか生きて帰ってまいりました。まあ色々あったが詳細省く(涙)。何はともあれ今日も元気にジャポンで生きております。
というわけで、今回もリヨン話。
前回も書きましたように、今回の滞在の目的は「東京で暮らすのと同じように外国でも暮らすことができるのか?」というチャレンジでありました。つまりは近所で食材を買って自炊しカフェで仕事といういつものパターンを現地でも続けたのですが、その地味すぎる行動の全てにいちいちプレッシャーが!
というのも現地では全てが対面販売。スーパーもあるがそれは「臨時用」らしく、買い物はマルシェか小売店(八百屋、チーズ屋、肉屋、パン屋など)というのが当たり前で、そこでは会話が不可欠なのです。どこも行列がなかなか短くならないんだが、それは客と店員が延々おしゃべりしているから。日本だったら「早くしろ」と苦情が出そうですが、そんな気配は全くないばかりか、あからさまに怪しい外国人の私でも、指さしで買い物を済ませようとすると店の人は実に不満そう。
なので当初は「いいから黙って売ってくれよ〜」と思っていたのですが、どうもそういうことじゃないんじゃないかと。買い物と会話はセットなのです。ノー会話・ノー買い物。コミュニケーションできて初めてモノを売っていただける。なんでそうなのかはよくわかりませんが、間違いないのはみんなめちゃくちゃ「おしゃべり好き」ってこと。どこへ行っても、店の人も客同士も、やあ久しぶり元気だった最近こんなことが……的な会話を延々とやっている(っぽい)。全員が知り合いなのかとすら思う。
だからなのか、どこでもお年寄りが一人でカゴをさげ楽しげに買い物をしているのでした。みんな居場所があるんだな。スーパーやコンビニで黙って買い物するのが当たり前になった日本を思う。我々は非効率で面倒な「おしゃべり」を手放したのです。それは進歩だったのだろうか。
※AERA 2018年4月9日号