例えば、序盤の場面転換。

 太陽がまぶしい舟島から一転、舞台は闇に。そこに竹林に囲まれた鎌倉の禅寺が現れる。まるで生きているかのように。

「竹がゆっくり、ゆっくり動いて、寺ができる。本当にすごい演出を遺(のこ)してくれたと、改めて実感します」

 出演者それぞれが、演技を深めているという。

「特に、最年長の白石加代子さんが、一瞬一瞬を大事に稽古していることがよく分かった。本人にそんなつもりはないのだろうけれど、自然と牽引(けんいん)役になっています。主役の(藤原)竜也は『劇中の武蔵と同じ35歳になった』と、ことあるごとに口にしている。もう一度、彼自身の武蔵を探そうと懸命だ」

 吉田自身は不在の蜷川を二つのことで意識した。

「テンションが低いな、蜷川さんがいたら怒られる。そんなふうに、自分をいさめるのが一つ。もう一つは、蜷川さんがいる時にやってみればよかった、という演技を試しています」

 具体的には──。

「大きな声で迫力のあるせりふを言うのは大前提。でも、抑えた中にエネルギーを込める表現は、蜷川さんの前で、あまり試みなかった。実際にやればOKを出してくれたと思うのだけれど、どう思われるか迷った時、無意識に、間違いなくいいと言ってもらえそうなほうを選んでいた。そこを一歩踏み込んで冒険し始めています」

 不在の蜷川と対話しながら?

「その通り。蜷川さんの引いた線からは、絶対逸脱しないよう、肝に銘じています」

「ムサシ」で吉田が演じる柳生宗矩は、剣豪にして、幕府の中枢にいる政治家。だが、あたり構わず能を舞い始める奇癖(きへき)のある愉快な人物だ。

「井上さんの戯曲がきっちり書かれているからこそ、演じる側に遊び心がないと、意味だけが伝わって、説教くさい芝居になってしまう。奇想天外な発想を肉体化し、せりふが心からほとばしる言葉になった時、初めて、いい舞台になる」

次のページ