坂本匡弘:さすが島津家ですね。龍馬は子どもがいなかったから、子孫だというと「?だろう」と言われる。自分からはだんだん話さなくなります(笑)。
川路利樹:わかります。うちも自分から家系の話はしない。最近付き合いの長い友人に言ったら、びっくりされました。どうして言ってくれなかったのって。
──末裔ならではのご苦労はありますか。
川路:90年、父が鹿児島へ行ったとき、現地の案内係に「宿帳に本名を書かないほうがいいですよ」と言われたそうです。鹿児島には、川路に悪い感情を持っている人もいるというんです。その9年後の99年には鹿児島県警本部前に川路の銅像ができて、その除幕式に両親が行きました。その時は特に嫌な思いはしなかったと聞いていますし、先日お会いした鹿児島の方は、「大丈夫だよ」と言ってくださいましたが……。
坂本:歴史上の人物には世間のイメージも付きまとうので、複雑な思いを抱えて先祖を明かしていない末裔も少なくないんです。でも、みんなそれぞれ命をかけて進んだ道でしょう。どういう思いで生き抜いたのか、先祖のためにも伝えてほしい、と僕は思っています。
川路:子どもの頃は、「川路は悪いことをしたのかな」と思ったこともありました。年を重ねるにつれて、いい悪いではなくて、考え方や立場の違いだ、と考えるようになりました。川路も公を取るか、私を取るかという葛藤はあっただろうと個人的には思います。でも、今でも隆太郎さんにはつい、「すみません」と言ってしまいます(笑)。
大久保洋子:いつだったか、川路さんのお父さまが、父に「ごめんなさい」とおっしゃったことがあります。「護衛をつけていたら、大久保は死なずに済んだかもしれない」ということでしょうが、子孫がそんな思いを持つのはつらいことですね。大久保についてはいろいろな評価がありますが、常に今何をすべきか考えて行動していた人だと思います。
坂本:まず、善か悪かではないですよね。当時20代、30代の若者が、それぞれの立場で、命をかけて日本をなんとかしようとやったことですよ。いまの政治家にそういう気概があるかといったら、どうでしょう(笑)。日本の歴史のすごいところを、学校ではあまり教えません。もったいないですよね。