批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。
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東京都議選が終わった。小池百合子都知事率いる都民ファーストが大勝、メディアは自民大敗にわいている。
しかし、筆者はあまりこの結果を歓迎する気になれない。そもそも今回の都議選は争点が不明確だった。「古い都議会を新しく」と都ファは言うが、新しくなるとなにが変わるのか。政策論争は乏しく、選挙戦は印象先行で進んだ。肝心の市場問題すら、築地も豊洲も活かすという選挙直前の「奇策」のせいで議論にならなかった。
いずれにせよ、小池知事は今回圧倒的な議会支配力を手に入れた。抵抗勢力の存在はもはや言い訳にならない。思えばこの1年、知事がなにをやったかといえば、市場問題の大騒ぎと五輪予算の交渉失敗ぐらいしか記憶に残らない。それでも勝てたのは、実績が評価されたというより、期待によるところが大きい。勝利に驕り、その期待を裏切ることは断固許されない。小池氏には、国政への転身など考えず粛々と都政改革に努めてもらいたい。相次ぐ知事選と都政の劇場化に、都民はほとほとうんざりしている。
都民も今後は変わる必要がある。今回は有権者の支持を得たが、実際は都ファは政党としてはたいへん心もとない。新議員は、政界経験なしと民進党転身組が交ざった玉石混淆の寄り合い所帯だし、新しく代表に就任した野田数氏は、かつて大日本帝国憲法復活の都議会請願をしたことで有名な政治家である。都ファはその点では「極右」の傾向ももつ。今後そのイデオロギーが前面に出てくることがないか、十分に監視する必要がある。反安倍がすべて善なわけではない。
またメディアにも変化が求められる。部数や視聴率が大事なのはわかるが、その論理で報道をゆがめては新聞やテレビの存在意義はない。小池劇場に限らず、この数年メディアの「政界劇場好き」は目に余る。大衆動員を権力批判の梃子にとの考えかもしれないが、いまやそんなメディアの思惑こそ政治家に巧みに利用されるようになっている。小池氏の勝利は半分はワイドショーのおかげだろう。いまメディアに求められるのは、反権力の気骨に加えて、反劇場の冷静さである。
※AERA 2017年7月17日号