いい言葉を聞いたことがない。「少子高齢化」「福祉の縮小」「年金消滅」……。私たちの老後は本当に真っ暗なのか。このまま、ひたすら下流老人化を恐れる人生でいいのか。どこかに突破口はあるはずだ。「年を取るのは怖いですか?」――AERA5月15日号は老後の不安に向き合う現場を総力取材。全身がんを告白した俳優の樹木希林さんに、死生観について聞いた。
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「老い」への不安もなにも、私はもともと小さいときからキラキラした希望や期待のある子でなかった。なにかを目指して頑張るというのもなかったわねぇ。それに私は人と比較しないのよ。それを武器にしてきた。
●みっともなくても1位
原点は小学校6年生のときの、学校の水泳大会ね。一応泳げはしたけれど運動は得意でないの。みんなはやれクロールだ、平泳ぎだって競技を選んでいくんだけれど、私には選ぶものがない。それで「歩き競走」というのを見つけて出ることにしたわけ。
当日、順番が来てみたら歩き競走に出場する6年生は私だけ。あとは1年生や2年生ばかりだった。小学校の6年生と1年生といったら体の大きさはうんと違うのよ。「よーいどん」ってスタートしたら、あっという間にゴールした。1等の賞品はノートと鉛筆と消しゴムだったかな。2等はそれより少なくて、3等は1品だけだったと思う。
競技が終わって教室に戻ったら、クロールで3等だった子に言われたわけ。「あんたはただ歩いただけで1等のいい賞品をもらって。大変な思いをして泳いだ自分の賞品がそれより劣っているのは釈然としない」って。
最初はみんな私をバカにしていたのよ。1年生に交じって歩き競走するなんてみっともないじゃない。ところが、いざ賞品の段となると、私のほうがいいわけ。これで私はきっと味をしめたんだね。いいんだ、これでって。そのまま来ちゃったわね、私の人生。
●俯瞰でものを見る癖
良かったなぁと思うのは、親がマイナスの部分を持つ子を叱らなかったこと。4、5歳のときに私は高い所から落ちて頭を打って、その日以来、小学校高学年までずっとおねしょしてた。毎朝、学校に行く前に布団を干すのが日課だったのよ。ふつうだったら親が怒ったりすると思うけど、食べることに精いっぱいで子どもに構っていられなかった。おまけに父はゆったりした人で、私が学校を休んでも叱るどころか「学校を休んだのか。こっちおいでよ」なんて手招きするような人だった。期待されないのが良かったわねぇ。