稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年、愛知県生まれ。2016年1月まで朝日新聞記者。初の書き下ろし本『魂の退社 会社を辞めるということ。』(東洋経済新報社)が発売中。
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稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年、愛知県生まれ。2016年1月まで朝日新聞記者。初の書き下ろし本『魂の退社 会社を辞めるということ。』(東洋経済新報社)が発売中。

 元朝日新聞記者でアフロヘア-がトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。

*  *  *

 1年前に情熱大陸という番組の取材を受けたのですが、先日、その時のディレクターから連絡を頂きました。母の訃報を知りお悔やみを言いたくてと。メールを交わすうちに久しぶりに会おうとなり、近所のモツ焼き屋にて絶品の煮込みと当時の思い出話を肴にレモンサワーを傾ける。

 取材では、毎週末に通っていた実家にもカメラが入りました。ごく平凡に郊外の老マンションで暮らす稲垣家にとっては想定外の大イベントです。「いつでも来てもらって構わない」と言っていた両親も、当日が近づくにつれどうにも不安が募ったらしく、「何を準備したらいいの」「お茶とコーヒーどっちがいいか」と何度も電話が。「取材なんだから何もしなくていいよ」と言っても、しばらく経つと「スリッパは用意したほうがいいよね」。「だから何もしなくていいんだってば!」とブチ切れ寸前のアフロ。

 今思えば、全てが懐かしい。

 当時の母は既に認知症の症状が進行し体も動きにくくなっていたのですが、番組を見た方は皆「元気じゃん」と。そう、母は頑張ったのです。恥ずかしがり屋なのにカメラの前で堂々と鍋の材料を切り、私の子供時代についての質問にもしっかり答えていた。カメラマンも「あんなに緊張しない人は珍しい」と。緊張する暇もないほど一生懸命だったんじゃないかと思う。

 で、ディレクター氏がおっしゃるには、取材を終え家を出る時、母は「来てくださって有り難うございます」と言ったのだそうです。「あの一言が本当に忘れられなくて」

 そんなこと言ったんだお母さん。どういう意味だったのかな。娘のためにと気を使ったのかな。いやそうじゃない気もする。病で自信を失っていた母にとって、自分を病人扱いせず、一人の母親として正面から質問を受けたことが本当に嬉しかったんじゃないかと思うのです。

 優しさとは、同情でも哀れみでもない。その人をその人として丸ごと受け入れること。きちんと向き合うこと。できそうでできないことです。でも本当に大事なこと。

AERA 2017年5月15日号

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稲垣えみ子

稲垣えみ子

稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行

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