ロシア出身の映画監督ヴィタリー・マンスキーの「太陽の下で 真実の北朝鮮」が上映されています(※写真はイメージ)
ロシア出身の映画監督ヴィタリー・マンスキーの「太陽の下で 真実の北朝鮮」が上映されています(※写真はイメージ)
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 政治学者の姜尚中さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、政治学的視点からアプローチします。

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 ロシア出身の映画監督ヴィタリー・マンスキーの「太陽の下で 真実の北朝鮮」が上映されています。マンスキー監督は、平壌に住むジンミという8歳の少女と1年間生活をともにし、その姿をカメラに収めました。撮影されたフィルムはすべて当局に検閲されます。そこでマンスキー監督は、一部隠し撮りをしたフィルムをすぐにダビングすることで検閲に引っかからないようにしました。

 シーンはジンミの誕生会です。親族が集まっているのですが、隠し撮りしたフィルムに映っていたのは、振付師によって出演者すべてが演技指導されている姿でした。撮影前は、くたびれた表情ですが、ひとたびアクションの声がかかると満面の笑みに豹変するのですから、低級の笑劇を見せられている感じです。でも演じている本人たちは真剣そのものですから、滑稽であると同時に哀れに思えてしまいます。映像で見かける北朝鮮の人々のオーバーアクションは、演技指導によってつくられていたことが映像からわかります。

 マンスキー監督は、あるインタビューで「彼らは劇場の中で演技をしている。でもそれもまた劇場の中の劇場じゃないか、そんな疑いをもってしまう」と話しています。北朝鮮では、真実と虚偽の区別すらわからなくなっているというわけです。演じている人たちの素顔はどこにあるのでしょう。

 この点で興味深いのは、「君にとって本当に好きなことは何?」と聞くと、ジンミが「わからない」と涙を流すシーンです。そこには、将軍様云々という言葉は条件反射で出てくるのに、本当の自分、そして本当に自分が好きなことがわからない、いやそうした問いそのものに懊悩する少女の姿があります。彼女の流す涙だけが、まだ少女の中に残る人間性の証明を語っているかのようです。

 この映画を見て笑いのタネにするのは簡単です。でも、虚実ない交ぜになった言説が我が物顔にのし歩くようなトランプワールドを見ていると、何が真実で虚偽なのか判然としない「脱真実」(ポスト・トゥルース)の世界です。「太陽の下で」の世界に何センチかでも近づきつつあるのではないか──。何とも複雑な気持ちにさせられました。

AERA 2017年2月20日号