公立は札幌医科、福島県立医科、横浜市立、名古屋市立、大阪市立、奈良県立医科、和歌山県立医科の7大学。私立では岩手医科、順天堂、昭和、東京医科、東京女子医科、東邦、大阪医科、関西医科、久留米の9大学が医専ルーツ組。戦時中に旧制大学医学部になった日本大学のような例もある。
●皆保険で新設ラッシュ
そして1961年、日本の医療に画期的な出来事が起こる。国民皆保険制度が確立したのである。すべての国民が一定の負担で医療を受けられるようになったことで、医療需要の急速な増加が予想された。医学部の入学定員増が図られたが、それでは追いつかないと医学部新設が進められ、70年代に一気に34校の医学部が増えた。実に、それ以前の既設46校の4分の3に匹敵する校数だ。
折しも高度経済成長期、その波に乗って、まず、私立医大の新設ラッシュが始まった。さらに、73年には、無医大県解消計画として、「一県一医大構想」が時の田中角栄内閣により閣議決定され、それまで医科大学のなかった15県に国立の医科大学・医学部が整備された。
この時代の「新設医大」は、国立が17校(旭川医科、秋田、山形、筑波、富山、福井、山梨、浜松医科、滋賀医科、島根、香川、愛媛、高知、佐賀、大分、宮崎、琉球)。さらに、防衛省管轄の準大学である防衛医科大学校もこの時期にできた。
政府は、戦後設置の医学部について、とりわけ国立は単科大学での設置を主とした。このため、これら18校中12大学が単科大学だったが、近年の国立大学の統合により、総合大学の一部になったところもある。
私学は16校。自治医科、獨協医科、埼玉医科、北里、杏林、帝京、東海、聖マリアンナ医科、金沢医科、愛知医科、藤田保健衛生、近畿、兵庫医科、川崎医科、福岡、産業医科の各大学だ。
70年代の医学部急増は80年代に入って医師過剰の懸念を招き、その後は医学部定員も頭打ちに。そして21世紀になり、「東北復興」のための東北医科薬科大学、「特区」の国際医療福祉大学の2校が加わるのである。