ぼくが一番に尊敬するジャズ・カメラマンのハーマン・レナードの作品にはモンクやパーカー、ビリー・ホリデイまで、タバコを持ってユラユラ立ちのぼる煙をまでも巧みに演出したすばらしいモノクロのシーンが数多く見られます。
ハーマンと話した機会にタバコの話題に触れ、彼が師匠であったユーサフ・カーシュから学んだ大きな事は「手の表情を捉える」ことだったと語り、彼自身、演奏中のミュージシャンの手やブレイクの間に点けたタバコを持つ指先の表情を写す事をかなり意識していたといいます。立ちのぼる煙には一灯逆光を入れて演出したことも度々あったと言っていました。
さて、前置きが長くなってしまったけれど、この人マル・ウォルドロン、チェーン・スモーカーであります。思い出してみてください、この人のポートレイトでタバコを持っていない写真を見たことがないくらい。
数々のバンドでピアニストを歴任しながら、ビリー・ホリデイが亡くなるまで彼女の伴奏者を務めました。一時はミュンヘンに渡ってヨーロッパでの活動を中心にしていたマル、晩年はニューヨークとヨーロッパのみならず日本を含め世界中を飛び回っていました。
飛び回っていたのはそれはご活躍でイイのですけれど、例外なく100パーセント禁煙となっている航空機内でタバコ中毒のこの人、飛行中には頭のテッペンから足のサキまで ニコチン・パッチを貼りまくって飛んでいたのでしょうか?
そこんとこ、たいへん気になります。
東京~ニューヨークなど13時間もの禁煙を強いられることを思うと、それだけでビビってしまったぼくに、長時間禁煙しても精神異常をきたさない極意を、ぜひお教えいただきたいと思っていたのですけれど・・・結局教えていただけなかったお陰で、ぼくは禁煙に成功したようなものです。
「レフト・アローン」はビリー・ホリデイの哀しい詞にマルが曲をつけた代表作。ビリー自身の録音は残されておらず、哀愁のメロディーをジャッキー・マクリーンのアルトが歌い上げて人気を得たのは、ビリーの死後(1966年)だった……というのは有名なストーリー。
ぼくはまだ小学生だったから、歌うビリーのポートレイトを撮ることも、マルとジャッキーのレフト・アローン・セッションを撮影することもできませんでした。
あと10年ほど早く生まれるか、小学生の頃からジャズ・カメラマンになっていれば、ビリーの「レディ・イン・サテン」や「レフト・アローン」のジャケ写を撮影出来たかも知れなかったのに。コルトレーンやパーカーを撮ることも出来たかも知れないのに、残念。
ある時、同時期に来日していたマルとジャッキーがレフト・アローンを再演する企画が持ち上がり、東京でふたりの再会が実現した。1986年、ぼくはもう成長し上京してカメラマンになっており、このライブ録音「Left Alone '86」のジャケット撮影のチャンスをいただいた。遅く生まれた悔しい思いが、この時ちょっとだけ晴れた気がしたのです。
マル・ウォルドロン:Mal Waldron (allmusic.comへリンクします)
→ピアニスト/1926年8月16日~2002年12月2日