サラリーマンの「出世頭」が社長になるのが普通の日本。その当たり外れは、従業員の運命も翻弄する。両極端な経過をたどった大手電機2社。東芝が凋落していく一方で、リーマンショックからも立ち直ったのが日立だ。そこにはトップの覚悟があった。
国内有数の医療機器メーカー、東芝メディカルシステムズが売りに出された。3月4日に締め切られた入札の結果、独占交渉権はキヤノンに。売却額は7千億円とも言われる。医療という成長市場に根を張り、グループの宝とも言われた優良会社を手放すのはなぜか。東芝は資金が底をついているからだ。目を覆うばかりの凋落。
「危機に立った時、社長の真価が表れます。総合電機を看板にした東芝と日立製作所がここ数年で明暗を分けた理由は、社長です。日立の川村隆さんは企業改革をすべてに優先した。東芝の西田厚聡さんは自分を可愛がった」
産業再生機構で破綻企業の再建を手掛けた冨山和彦(経営共創基盤CEO)はこう指摘する。
2008年のリーマン・ショックでは、両社とも深い傷を負った。09年3月期の純損益の赤字は東芝が3435億円、日立は7873億円。ダメージは日立が深刻に見えたが、その後の展開は真逆になった。
09年3月。日立マクセル会長、川村隆の執務室の電話が鳴った。親会社である日立会長の庄山悦彦からだった。「日立に戻って社長を引き受けてくれ」。唐突なオファーだった。