数年前に、中高生のブラスバンド・コンクールをのぞき、おどろいたことがある。出場バンドの大半が、女子学生で占められていたのだ。トロンボーンもトランペットも、たいてい女の子たちがやっている。
ごくまれに、男子生徒だけのバンドもあった。聞けば、しかしそれらは男子校のグループであるという。女子がいないから、男子だけで構成せざるをえなかったわけだ。
まあ、女子校のバンドも、まったくないわけではないだろう。しかし、女の子の集団に男の子がぽつりぽつりとまじっているバンドも、多い。つまり、、一応男女共学の学校ではあるのだろう。そして、共学のバンドであるのに、メンバーはおおむね女子でできている。
どうやら、このごろのブラスバンド部に男子はあまり参加しないらしい。管楽器へ挑むのは、たいてい女子であるようだ。
そう言えば、私がときどき顔を出すライヴハウスのジャムセッションでも、この傾向を感じることはある。このごろ妙に、増えているのだ。テナーサックスやトランペットを持ち込んで来る若い女性が。
どうして、こういうことが起こるのか。やや、いぶかしく思っていたのだが、ブラスバンド部の現状を知って、うなずけた。そして、ブラスバンド自身が、女子学生の場になっているのである。その延長で、ジャズの世界にも、女性の奏者が増えだしているということなのだろう。
そう言えば、お茶やお花を習う女の子は、激減しているようにも思う。女子だからといって、茶道部や華道部、あるいは書道部へ進むことも少なくなっているのだろう。それよりは、演劇部、ダンス部、そしてブラスバンド部へ入る。それが、クラブ活動の今日的な趨勢なのではないか。
ならば、男子の音楽好きは、どうなのだろう。かつてのブラスバンド部は、その多くが男子学生で占められていたはずである。トランペットもサックスも、基本的には男子となじむ楽器であった。事実、ライヴハウスでも、ある世代以上の管楽器奏者は、男性で大半が占められている。女性が増えてきたのは、ごく近年の現象なのである。
まあ、三、四十年前でも、ハープやフルートは、女性っぽい楽器であったと思う。男性には似つかわしくなかったろう。そして、この頃のサックスは、かつてのハープ並と言っていい楽器になっている。少なくとも、中学や高校では。
繰り返すが、男子はどうなってしまったのか。
おそらく、音楽に心を寄せる男の子の多くは、ロックっぽいバンドを志すのだろう。やるなら、ギターかベース、あるいはドラム。管楽器なんて、女っぽいからかったるいと、そう思い出しているのではなかろうか。
とすれば、ジャズの将来も明るくない。先細りになっていくのだろうか。と、そう心配する人は、あまりにも男権的でありすぎる。
なにも、憂う必要はない。これからは、ブラスバンドを経験した若い娘たちが、わんさかやってくるのだ。ジャズの世界は、どんどん華やかになっていく。そして、われわれおっさん世代は、彼女らの前で先輩風をふかすこともできるのだ。
若いギター青年は、ロックへゆけばよい。管楽器の娘は、ジャズに来る。けっこうなことではないか。ジャズ愛好家のおっさんともども、この現代的な傾向を喜びたい。ともに、ハレムを営もうではないか。
ヴォーカルを志す女性は、前からけっこういたと思う。おっさんたちでつくられるジャズの世界も、歌姫としてなら女性を受け入れていた。あと、ピアノをはじめとするキーボードも。なんといっても、ピアノのレッスンをきっちりやってきたのは、女性に多いから。
しかし、おっさんたちのジャズバンドは、男のヴォーカルをなかなか認めなかった。なにが悲しくて、男の歌なんかを、オレたちの演奏で支えなければならないのか。女の子の歌ならいいよ。やる気も出る。若い美人のヴォーカルなら、大歓迎。でも、男の歌声とだけは、音をあわせたくない。それが、これまでの伝統的なジャムセッションであったと思う。
実は、こっそり歌の練習をしている男も、少なくない。私だって、少しは心得がある。だが、ジャムセッションには、とうてい持ち出せない。男たちから冷たくあしらわれるのが、分かり切っているからである。
しかし、ジャズの世界で、女子バンドが増えれば、事情は違ってくるかもしれない。老後は、ヴォーカルじいさんとして、若い娘たちにあわせてもらう。そんな人生もいいものだ。歌姫ならぬ歌う王子として、いやちがった、歌うおじいか。ともかく、けっこう明るい退職後の展望が見えてきた。