森川亮代表取締役社長自らの経営手法は「サッカー型」。打順やポジションなどルールに縛られる「野球型」では変化に対応できない。攻守が目まぐるしく入れ替わる中で個々人に独創力を発揮してほしいと言う(撮影/今村拓馬)
森川亮
代表取締役社長

自らの経営手法は「サッカー型」。打順やポジションなどルールに縛られる「野球型」では変化に対応できない。攻守が目まぐるしく入れ替わる中で個々人に独創力を発揮してほしいと言う(撮影/今村拓馬)
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舛田淳執行役員(事業戦略担)事業開発からコンセプト設計、コミュニケーションプランまですべての戦略を練る軍師。「我々は間違いなく歴史をつくっている」(撮影/今村拓馬)
舛田淳
執行役員(事業戦略担)

事業開発からコンセプト設計、コミュニケーションプランまですべての戦略を練る軍師。「我々は間違いなく歴史をつくっている」(撮影/今村拓馬)

 無料通話アプリ「LINE」の成長が著しい。ユーザー数は国内で5千万人、世界で3億人を超えた。彗星のごとく現れたかに見えるLINEだが、実は辛酸をなめた時代の方がはるかに長い。

 LINEの前身であるNHNジャパンは、韓国のネット大手NHNの子会社として2000年に日本に進出。主力は検索サイト「NAVER」とオンラインゲームの「ハンゲーム」で、いずれもパソコン向けのサービスだった。だがNAVERは浸透せず、05年に撤退。07年に再参入したが、ヤフーとグーグルという壁が立ちはだかった。ハンゲームも「ガラケー」にユーザーを導き損ね、DeNAやグリーに寡占を許した。

 「端末の主役がスマホへと移る中、ここで競合に先行しなければ会社がつぶれる」

 森川にはそんな危機感があった。開発チームを率いたのが事業戦略担当執行役員の舛田淳(36)。当初、サービス候補には「コミュニケーション」を切り口にゲーム、写真共有、メッセージの三つが挙がったが、舛田はメッセージに注力する方針を打ち出す。世界ではすでにフェイスブックやツイッターが隆盛を極めていたが、勝算はあった。

「フェイスブックのマーク・ザッカーバーグは地球上の70億人をつなぎたいと言った。それがネットの可能性である、と。理解はするが、少し怖い。我々は真逆をいこうと考えた」

 不特定多数の人をつなぐ既存のSNSは、やり取りが「オープン」に交わされるため不都合も伴う。例えばツイッターは知人に語りかけるつもりでつぶやいたことが、見知らぬ人にリツイートされ炎上したり、拡散が止まらなくなったりすることもある。舛田が目指したのは、もともとつながっている家族や友人などの関係をさらに深める「クローズド」なコミュニケーションツール。それが、スマホの電話帳の中の「友だち」とだけつながるLINEだった。
 
 11年3月に東日本大震災が起き、「絆」の尊さが再確認される中、コンセプトに確信を得たチームは急ピッチで開発に取り組んだ。「大切な人とつながるホットラインに」。LINEという名称にはそんな思いが込められた。当初、100万人が目標だったユーザー数は、半年で1千万人を超えた。

AERA  2013年12月9日号より抜粋