



●リー・コニッツ(1927‐)
クール&アブストラクト
チャーリー・パーカーがアルト・サックス界の覇者だった時期に表舞台に登場したコニッツは、やがてレニー・トリスターノ(ピアノ)の高弟としてクール・ジャズの旗手となった。最初の楽器はクラリネットで、42年にテナー・サックス奏者としてゲイ・クラーリッジ楽団に入る。アイドルがレスター・ヤング(テナー・サックス)だったことは、のちの演奏から明らかだ。この頃、トリスターノと出会い、教えをうけ始める。ジェリー・ウォルド楽団でアルト・サックスに替えたのは、レスターのトーンを得るためではないか。
カレッジを経て、47年の夏にクロード・ソーンヒル楽団に加わる。9月に初録音、《アンスロポロジー》は、酔ったレスターがビ・バップに挑んだみたいで、なんとももどかしい。12月の《ヤードバード組曲》は、アブストラクト・レスターとでもいうべき上々の出来だ。48年9月、コニッツは「ロイヤル・ルースト」におけるマイルス・デイヴィスの「クールの誕生」セッションに抜擢される。出来はバラつくが、パーカー色が顕著になっていて興味深い。このあとソーンヒル楽団を去り、トリスターノとの交流を本格化させる。
49年1月、コニッツはリーダー役をトリスターノに譲ったセッションに参加し、《サブコンシャス・リー》など、トリスターノ派を代表する名演を残す。ただ、この時点ではトリスターノ色とパーカー色が相半ばしていた。パーカー色は3月のセッションで薄れ、5月のセッションで一掃される。閃光を思わせるクール&アブストラクト・コニッツが完成し、《インチュイション》などで神懸かった演奏を見せた。このあと、50年4月と51年3月のリーダー・セッションでも、《レベッカ》《エズセティック》といった名演を残す。
ウォーム&エモーショナル
しかし、いかに神懸かりとはいえ、それがトリスターノが憑依したようなスタイルだっただけに、やがてコニッツに疑念が生じたとしても無理はない。52年8月、コニッツはスタン・ケントン楽団に入る。経済的な事情もあろうが、故油井正一氏の見立てどおり、トリスターノの呪縛を断ち切るためだったのだろう。その直前、7月のトリスターノのセッションに聴くコニッツはパーカー派そのもので、53年1~2月の『コニッツ・ミーツ・マリガン』あたりからとされる温暖化が、トリスターノ時代に始まっていたことがわかる。
ケントン楽団のごう音に立ち向かうなかでコニッツはたくましさを加え、「人と地球に優しい」スタイルを育んでいく。53年の末、コニッツはケントン楽団を退団し、独立した。情感と歌心に溢れる、完成したウォーム&エモーショナル・コニッツは、54年1月のストリーヴィル録音にとらえられている。影響をうけた奏者は白人に多く、バド・シャンク、ハル・マクシック、テッド・ブラウン(テナー・サックス)がいる。黒人では前衛派のアンソニー・ブラクストンと、信奉者にマーク・ターナー(テナー・サックス)がいる。
●キャノンボール・アダレイ(1928‐1975)
ニュー・バード現る
55年6月、修士の学位取得に向けてニューヨークにのぼったアダレイは、弟のナット・アダレイ(コルネット)と「カフェ・ボヘミア」に立ち寄った。オスカー・ペティフォード(ベース)のギグに飛び入りし、しかけられた急速テンポをものともせぬ力演で場を揺るがす。これがきっかけで同クラブへの出演を決め、「ニュー・バード現る」という噂が広まる。さらに、9日後にはケニー・クラーク(ドラムス)のセッションで初録音に、25日後には初リーダー・セッションにのぞむなど、メタボ系シンデレラ物語を地でいった。
ホントに「ニュー・バード」だったのか。生地フロリダの陽光を思わせる(行ったことはないが)明るく健康的な演奏に、パーカーが発散するヤバさはない。むしろ、スウィング期の巨匠に通じる、優雅で自然な歌心(不自然でも歌心といえるか?)に溢れている。「大きな影響を与えたのはジョニー・ホッジスやベニー・カーターで、このほかジミー・ドーシーからも影響された」という発言は、額面どおりにうけとっていい。ホッジス流のブルース感覚、カーター流の明るさ、ドーシー流の饒舌は、初リーダー作に認められる。
マイルス・マジック
アダレイ兄弟は10代になる前にはバンドを組んでいた。ということは、スウィング末期には最初のスタイルを完成させていたと察せられる。だからこそ、パーカーから決定的な影響を被らず、新しいビートに適応できる若さもあったから中間派にはならず、穏健なかたちでモダン派に転身できたのだろう。ともあれ、アダレイのスタイルはデビューした時点で出来あがっていた。56年にナットと組んだ第1次クインテットは「ニュー・バード」がわざわいしてパッとせず、57年12月にマイルス・デイヴィス・グループに迎えられる。
アダレイのグループへの貢献を問われると悩ましい。名演がないわけではないが、場違いな感を覚えるのだ。結局、「薄暗い地下室に差しこむ光」のようなものだったのではないか。アダレイには大収穫となった。意味のない饒舌が失せ、説得力がそなわってくる。マイルス・マジックだ。59年2月のリーダー・セッションから快進撃が始まり、退団後、リヴァーサイドとキャピトルから傑作や快作を連発した。80年代以降、アダレイを信奉する黒人の若手が出てくる。代表格はヴィンセント・ハーリングとアントニオ・ハートだ。
●オーネット・コールマン(1930‐)
出発点はビ・バップ
59年11月、オーネットは「ファイヴ・スポット」で衝撃的なニューヨーク・デビューをはたす。それまでは、信念を貫く者が被る苦難の連続だった。蔑視と敵視が飛びかうなかで録音の機会に恵まれるはずもなく、58年2月より前の姿を知る術はない。15歳でアルト・サックスを始め、「カネのため」に酒場で演奏するようになる。ハイスクール卒業後にプロになると、そうした活動を続けつつ、15歳のときにニューヨークで洗礼をうけたビ・バップに本格的にとりくみ、自分の目標を追うようになる。出発点はビ・バップだった。
当時の演奏を、同級生のデューイ・レッドマン(テナー・サックス)は「まるでバードを聞いているようだった」と語っている。58年2月~3月の初リーダー作を保守的な前衛という方もあるが、変なビ・バップというべきで、アイドルがパーカーだったことが知れる貴重な記録だ。オーネットがビ・バップをやると、アヴァンギャルドなパーカーが出来あがる。パーカーの「瞬間的逸脱」を発展させたと見るべきかもしれない。最後に録音された《スフィンクス》では逸脱ぶりを発揮し、本作が妥協の産物だったことを裏付ける。
自分に忠実な革命児
58年10月~11月のポール・ブレイ(ピアノ)のライヴ盤も、クラブという場所柄か、ほとんどがバップ・マナーの演奏だ。パーカーの《クラクトオヴィーセッズテーン》で、パーカーとの二人羽織が楽しめる。59年1月~3月の第2作では素顔のオーネットだが、志を一にしない大物たちとの顔合わせで、パワー全開とはいかない。同志が集結した5月の第3作『ジャズ来るべきもの』で、初めてオーネットの真価と全貌がとらえられた。結局、とっくに出来あがっていたのに、真価を発揮する機会に恵まれなかったということだ。
影響について、本人は「ジミー・ドーシー、ピート・ブラウン、レスター・ヤング、チャーリー・パーカーたちを尊敬したし、〈中略〉そっくりまねて吹くことはできたが、幸運にもうんと若い時から、自分自身の音楽を吹くことができた」と語っている。オーネットは自分の感覚に忠実だった。オフ・ピッチ、小節の伸縮、和声の逸脱もその結果だろう。なんとジャズ的であることか。革命児オーネットの影響をうけた者は数知れない。代表格に黒人前衛派のロスコー・ミッチェル、ヘンリー・スレッギル、ブラクストンがいる。
●エリック・ドルフィー(1928‐1964)
アナザー・バード
58年の初め、ドルフィーはチコ・ハミルトン・クインテットに入り、ようやくロス選挙区から比例区に転身する。ロス時代の録音はわずかで、影響源を探る手がかりは乏しい。小学校でクラリネット、ジュニア・ハイスクールでアルト・サックスを始め、48年にロイ・ポーター楽団に入団する。49年1月と春のセッションでソロはとっていない。同年春、チャールス・ミンガス楽団の『ザ・ストーリー・オブ・ラヴ』でのソロが最古とされるが、先発のハーブ・カロ(テナー・サックス)か後発のアート・ペッパーを誤認している。
最古のソロが聴けるのは、54年6月か7月に自宅で録られたクリフォード・ブラウン(トランペット)とのセッションだ。1曲は発表されていたが、2005年に新たに4曲が発掘された。ドルフィーのパーカーへの傾倒ぶりが実証され、大きな話題をよんだ。3曲で聴けるソロはパーカーそのものといってよく、《ファイン・アンド・ダンディ》では《チェロキー》におけるパーカーの常套句すら引用する。これらを聴くかぎり、当時のドルフィーは所謂パーカー派と一線を画する存在ではなかったようだ。このあと録音はとだえる。
アクロバティック・バード
58年8月、ドルフィーはチコのグループでエリントン作品集を録音したが、ドルフィーを嫌ったパシフィック・ジャズのオーナー、リチャード・ボックは2曲を除いてボツにした。2000年に全9曲が発表され、3曲でアルト・サックス・ソロが聴ける。テーマ提示部のヌメヌメしたトーンと官能的な語り口はジョニー・ホッジス流だ。一夜漬けの代物ではない。ブラウンとの演奏に痕跡はないが、パーカーに先立つアイドルがホッジスだった可能性が浮上する。もっとも、ソロで見せるアブストラクトな感覚は準ドルフィー仕様だ。
59年2月のセッションはアルト・サックスだけでのぞみ、3曲でソロをとっている。チコ時代で最も注目すべき演奏だ。ときにアクロバティック、ときにワイルド、ドルフィーが生まれる日も近い! 5月の放送音源は検証の役にたたず、そのあと60年4月まで録音はないから、スタイルを完成させていく過程を知る術はない。パーカーと同様に、久しぶりに登場したドルフィーは、ドルフィーその人にほかならなかった。影響をうけた奏者は黒人前衛派に多く、ケン・マッキンタイヤー、ソニー・シモンズ、ブラクストンがいる。
アルト・サックスは今回で終わりにし、次回はテナー・サックスに入らせていただく。今夜見る夢。黄昏のミシシッピーの湿原、中空に浮かぶオーネットがヴァイオリンを奏で、かたわらの樹上ではドルフィーがフルートで小鳥たちと語らい、泥の中でワニと格闘していたローランド・カークがサイレン・ホイッスルで勝利の雄たけびをブイっと一吹き!
●参考音源
[Lee Konitz]
Subconscious-Lee/Lee Konitz (49.1, 6, 9, 50.4 Prestige)
Intuition/Lennie Tristano and Warne Marsh (49.3, 5 Capitol)
Ezz-Thetic/V.A. (51.3 New Jazz)
Konitz/Lee Konitz (54.1, 4 or 5, 8 Storyville)
[Cannonball Adderley]
Presenting Cannonball/Cannonball Adderley (55.6-7 Savoy)
The Sharpshooters/Cannonball Adderley (58.3 Mercury)
Milestones/Miles Davis (58.4 Sony)
Cannonball Adderley Quintet in Chicago (59.2 Mercury)
[Ornette Coleman]
Something Else!/Ornette Coleman (58.2-3 Contemporary)
Complete Live at the Hillcrest Club/Ornette Coleman (58.10-11 Gambit)
Tomorrow is the Question!/Ornette Coleman (59.1-3 Contemporary)
The Shape of Jazz to Come/Ornette Coleman (59.5 Atlantic)
[Eric Dolphy]
Together 1954/Clifford Brown+Eric Dolphy (54.6 or 7 RLR)
The Original Ellington Suite/Chico Hamilton (58.8 Pacific Jazz)
Three Faces of Chico+Gongs East/Chico Hamilton (59.2/58.12 Collectables)
Outward Bound/Eric Dolphy (60.4 New Jazz)