半世紀ほど前に出会った97歳と83歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。
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■横尾忠則「神様に愛される存在 ショーケン追憶」
セトウチさん
ショーケンの話をしましょうか。ショーケンはセトウチさんのこと、「お母さん、お母さん」とえらい懐いていましたよね。
ある夜、彼が訪ねてきました。なんでも家にマスコミが来るので横尾さんのところなら安心なのでと言ってね。なんで僕のところが安心なのかよくわからないまま、世間話をしていたんですよね。そしたら夜遅く、いしだあゆみさんから電話があって「主人、伺っていませんか?」と。それでショーケンは帰っていきました。こんな彼の衝動的な行動が僕は好きだったんですがね。
そのあとだったか、寂庵へ行ってセトウチさんに臨済宗のお寺の禅堂に入れられちゃいましたよね。でもいたずらばかりするので、どこかの尼寺に移されて、そこで女性器ばかりの絵を膨大な数描いて、セトウチさんから「見てやって!」と言われて、彼はその絵を持ってやってきたけれど、批評以前の絵で評価の対象にもならない。
セトウチさんも困り果てて、「どこか横尾さんの知っているお寺を紹介して」と言われて、三田の龍源寺の息子さんの住職さんの松原哲明師を紹介したんです。すんなり受け入れられて軽井沢の禅堂だかに入ったんですが、そこでまた、とんでもない、田んぼに巨大な穴を掘って、哲明師から僕に連絡があって、もうお手上げですわ、とね。
それで、ショーケンとセトウチさんとヨコオ夫妻で、龍源寺の哲明師のご尊父の、とてもえらい日本を代表する禅師の泰道師に会って、お礼を言って、長いショーケンの修行がここで一件落着するんです。僕は結構面白がったんですが、セトウチさんは同じ仏門の身で大変だったようですね。
その後、京都駅でバッタリ彼に会って、同じ新幹線で帰京したんですが、「どこへ行っていたの?」と聞くと「セトウチ先生に借りた本をお返しに行ってきたんです」と言うので、「本なら送ればいいのに」と言うと、「大事な本なので直接お返ししなきゃ」と、随分、律義で礼儀礼節の人だなと感心したんです。