磯江さんとおなじような経験は、たぶん多くの人がもっているはずです。哲学を志す者には「観念だけで考えるな、もっと事実にまみれよ」と、芸術家の卵たちには、「だれも試みたことのないことに挑め」とつねに檄を飛ばされました。いつも命がけで突きつめること。このことはだれもが望むところですが、だれにも果たせることではありません。でも呻き、もがいていれば、認めてくださいました。学問は、頭のいい人、世渡りの上手な人にはできないとおっしゃってくださいました。そして笑いながらまたさっと自分のお仕事に戻られました。すると不思議なことに、とっくにあきらめていたことがなんかできるような気になるのでした。
先生が学長を務められた頃の京都市立芸術大学には、一匹の野良犬が住みついていて、その犬を学生たちは「たけし」と呼んでいました。彼らは、からかいながらもちゃんと学生食堂で食事を分け与えていました。囃し立てながらも大事にする。学生たちも梅原「たけし」その人に、しかと学んでいたのだと思います。
そして最後に、先生は学問や芸術の後輩のみならず、行政や財団職員の方々の背中をもそっと押してくださる人でした。その掌の温かみに、みな「難破しても俺が何とかしてやる」という声を聞いていました。そういう意味では、みなどこか先生に寄りかかるところがありました。凭れすぎるくらいに凭れました。そして最後はいつも大らかな笑い声が返ってくるのでした。先生に背中を押され、そして先生に寄りかかるばかりだった私たちは、今日、先生のお顔に向かってやっと大きな声でこう言えます。
「先生、ほんとうにありがとうございました」。
そして、お疲れさまでした。どうか安らかにお眠りください。でもあの大らかな笑い声だけはいつまでもこの空に響かせていてください。
※週刊朝日 2019年12月27日号