磯江さんが自分が抱え込んでいる不安についてぼそぼそ話しだすと、梅原先生は「そうか」と何度も頷き、親身になって助言もしてくださったそうです。ただ、その間も先生は大好きな大相撲のテレビ中継を見、さらになんと手もとの原稿に筆を走らせてもいたというのです。
すさまじいです。ですが、この話を聞いたとき、すさまじさ以上に思うことがありました。そこには三人の梅原先生が同時にいるのです。大相撲中継に夢中になる先生と、原稿を執筆する先生と、人生相談にのる先生です。これは、「したいこと」と「しなければならないこと」と「してあげたいこと」のどれも疎かにしないという、先生の矜持を何よりよく物語るものではないかと、とっさに思ったのです。
まず、「したいこと」。それはきっとご自身が心の奥底深くに抱える疼きの理由を突きつめたいということであり、その疼きの隙間からマグマのように溢れだす思考とイマジネーションと感情とを思い切り解き放ちたいということであったのでしょう。磯江さんが先生宅を訪ねられたのは、ちょうど《梅原古代学》の壮絶ともいえる仕事に取り組んでいらっしゃった頃ではなかったでしょうか。
次に、「しなければならないこと」。それは、先生のその疼きが、幼少期よりの個人としてのそれに止まらず、不遇をかこつ人、不運に苦しみ、不条理に弄ばれる人びとの無念に繋がっていて、その無念をこの自分が「代弁者」として語り継がねばならないという思いだったのでしょう。また先生が、戦死者たちの、被災者やそのご遺族の方々の無念に寄り添うその姿は、だれもが知るところです。
先生のその思いはとても熱く、これがそのまま三番目の「してあげたいこと」につながります。たとえば幼くして親を喪う、世の辱めを受ける、あるいは身を棄てる、人を殺めかける、そんな深手を負った人への先生の共感は止めを知らぬものでした。法然や親鸞を論じても、円空を論じても、いつもその人の「泣きどころ」、痛切な「願」から語りはじめられました。先生ご自身は大胆な推論を次々と打ちだす人でありましたが、その奥底に潜むのはいつも、悲嘆に暮れる人に赤子のような安らかさをもたらしてあげたいとの思いでした。非戦を訴え「九条の会」に加わられたのも、体調の芳しくないなか東日本大震災復興構想会議で被災地を巡られたのも、そんな思いに発することだったと思います。