下重暁子(しもじゅう・あきこ)/作家。早稲田大学教育学部国語国文学科卒業後、NHKに入局。民放キャスターを経て、文筆活動に入る。主な著書に『家族という病』『極上の孤独』『年齢は捨てなさい』ほか多数
下重暁子(しもじゅう・あきこ)/作家。早稲田大学教育学部国語国文学科卒業後、NHKに入局。民放キャスターを経て、文筆活動に入る。主な著書に『家族という病』『極上の孤独』『年齢は捨てなさい』ほか多数
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※写真はイメージです (Getty Images)
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 人間としてのあり方や生き方を問いかけてきた作家・下重暁子氏の本誌連載「ときめきは前ぶれもなく」。今回は「の耳は何を聞く?」。

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 猫の耳を見ていると、切符切りでパチンとやりたくなる──

 と言ったのは、梶井基次郎だったか。

 切符切りといっても、今の自動改札やカードに馴れた人にはわからないだろうが、かつては、差し出された切符に駅員さんが一枚一枚パチンと穴をあけていた。

 猫の耳は薄くて陽が透けて見える。細い血管がはっきり見える。

 猫といつも一緒に暮らしていた頃、猫の耳を見て飽きることがなかった。

 一九七七年の春から秋への半年間、エジプトに住んだ時の幸せだったこと! 街にも野にも遺跡にも猫が溢れていた。私のいた八階建てのアパートメントの階段にも一家族が住みついていた。誰か飼っているわけでもなく、ごく当たり前に猫は人間と共存していた。

 歴史は、ピラミッドがつくられたファラオの時代にさかのぼる。歴代の王達は猫を神と崇め、宝石の首輪をかけ、大切に扱っていた。アビシニアン種に近い、顔が小さく耳が大きく、細身で短毛の野性味たっぷりの猫。私は、ハーン・エル・ハリリの古美術店で青銅の猫を手に入れて今もピアノの上に飾っている。

 その店では、最初は見るからに偽物が出てきて、こちらの目きき具合を見定めたのちに、奥から真綿にくるんだ本物が出てくるのだった。

 暇があると私はカイロ博物館に出かけて行き、青銅の猫を眺めた。一室、二室、三室……いやその先にも青銅の猫だけが居た。全てポーズも大きさも違い、ぶどう酒を飲んでいたり、二匹が組んで踊っていたり。

 そのうちに、地下に多くのミイラ室があることに気付いた。歴代の王達のかつては色鮮やかだったであろう棺と、茶色くなった布で巻かれた王のミイラ。そばに赤子より小ぶりな棺があり、小さな五〇センチほどの棒状のミイラがある。

 顔から下をほうたい状にぐるぐる巻きにされた小さいミイラは猫のものであった。

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