TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽とともに社会を語る、本誌連載「RADIO PA PA」。今回は数々の名曲を生んだ「音響ハウス」について。
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「マッスル・ショールズ・スタジオ」の歴史を教えてくれたのは松任谷正隆さんだ。アメリカ・アラバマ州のマッスル・ショールズにあるレコーディングスタジオである。60年代~70年代に多くの名曲を生みだし、サザンソウルのみならず、ザ・ローリング・ストーンズやトラフィックといったロック畑もここを使うようになった。
そんな音楽の殿堂のようなスタジオは日本にもある。「音響ハウス」だ。先日、そのスタジオのドキュメンタリー『Melody‐Go-Round ONKIO HAUS Recording Days』を観た。
1974年12月に東京・銀座に誕生した音響ハウスが今年45周年を迎えた。
松任谷正隆、松任谷由実をはじめ、大滝詠一、矢野顕子、佐野元春、高橋幸宏、佐橋佳幸、葉加瀬太郎、大貫妙子ら多くのアーティストがレコーディングに臨み、時代を刻むベストセラーを生んできた。
教授こと坂本龍一さんは、なんと1年間このスタジオを借り切った。
スタジオは音楽の生まれたストーリーを知っている。誰もが知っている名曲の誰もが知らないストーリー。音楽の天使たちの才能が触発しあい、作品の生まれる奇跡の瞬間。ドキュメンタリーに登場するのはアーティストにとどまらない。傑作の誕生を支えてきたプロデューサーやエンジニアたちの秘話もふんだんにある。
資生堂に口紅のキャンペーンソングの相談をされたプロデューサーが忌野清志郎と坂本龍一のコラボレーションを提案したことで生まれたのが、1982年リリースの『い・け・な・いルージュマジック』である。
資生堂指定のタイトルは『すてきなルージュマジック』だった。それを清志郎と教授が独断で『い・け・な・いルージュマジック』に。俺たちはこのタイトルでなければ出したくないと訴え、プロデューサーがクライアントを必死に説得、時代に残る大ヒットとなった。