「銀河鉄道999」「宇宙戦艦ヤマト」など、宇宙をテーマにしたSF作品で知られ、日本だけでなく海外でも人気だった漫画家の松本零士(まつもと・れいじ)さんが13日、急性心不全のため亡くなった。85歳だった。
松本さんの作品には、戦闘シーンとともに登場人物が命を奪い、奪われる場面も多く登場する。しかし、読み手はそこに、表面的な残酷さではなく人間の弱さや温かさを感じ取り、登場人物に共感した。それは、漫画が松本さんの人生そのものであったからだろう。
筆者は、戦後70年の節目にあたる2015年に、「週刊朝日」で松本零士さんにインタビューをしたことがある。
当時77歳だった松本さんは、終始穏やかな口調と笑みを絶やさず、「僕の作品の根っこには、子どもの頃の戦争体験がある」と話してくれた。戦時下でグラマン戦闘機が自身に迫って来た体験を、まるで少年時代に戻ったかのように少し興奮しながら語ってくれた。
人によっては二度と思い出したくないような体験。しかし、ニコッと表情を崩した顔からは、敵に対しても憎しみを抱いていなかったことが伝わった。
戦後の混乱期に過ごした九州の地で、松本さんは、清濁併せのみながら懸命に生きる人たちを見て育った。当時のインタビューから松本さんの人生を振り返る。
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ゴゴゴッという轟音とともに、米軍のグラマン戦闘機が、生い茂る雑木林から、超低空飛行で飛び出してきたんです。お互いに表情がわかるような距離。僕と目が合ったパイロットは、ニヤリと笑ったのをいまも覚えています。
僕は福岡県久留米市で生まれました。陸軍パイロットだったおやじが南方に出撃すると家族は愛媛県大洲市の新谷へ疎開しました。戦争末期にはB29爆撃機がバンバン飛んできました。幸い本格的な空襲には遭わず、悪ガキ仲間と田んぼの泥に埋まった実弾を、花火みたいに爆発させようと石や金づちでたたくなど、いたずら三昧の日々です。