作家・室井佑月氏は、連日続いている嫌韓を煽るようなニュースやコメンテーターに苦言を呈する。
* * *
先週も書いたけど、連日韓国を敵対視するワイドショーやニュースが流れている。今週もそのことについて書くってことは、状況が何ら変わってないわけだ。
今週の話題は、ソウルで日本人女性観光客が韓国人男性から暴行されたことについて。そして、文在寅大統領の側近の不正疑惑について。
日本人女性が暴行された事件ではとうとう、「路上で女性観光客を、訪れた国の男が襲うなんて世界で韓国しかありませんよ」「日本男子も韓国女性が入ってきたら暴行しなきゃいけない」といいだすコメンテーターまで現れた。
そりゃあね、暴行事件はあってはならない。酷いと思う。
でも、暴行事件が韓国しかないなんて嘘だ。
暴行を犯すのは、犯す人間がワルだから。人種や国は関係ない。どこの国にも良い人間も悪い人間もいる。しかも、この国の男性に、韓国人女性への暴行をそそのかすって、そのコメンテーターの個人の責任では済まされないくらいの大問題だ。
次に文大統領の側近のスキャンダルだが、それがこの国のあたしたちにどう関係があるのか?
韓国の大統領側近の国内での不正は、韓国の人々がどうにかする問題である。この国の政治家の不正や不祥事をまんまと見逃しておいて、こういうのを「人の蝿を追うより自分の頭の蝿を追え」というのだ。
しかし、こういう意見をいうと、この国の一部から「韓国擁護」といわれ、それは「反日」という罵り言葉へつながってゆく。
あたしはべつに韓国を擁護していない。叩いたりもしていない。人種や個人をひとくくりにしていうのはおかしいと思ってるだけだ。
ただし、この国の人間として、一部の人間の行き過ぎた行動を恥ずかしく思う。だから、そう言う。
日本人の旅行者が韓国人男性に暴行されたとき、韓国の人たちの間で、「おなじ韓国人として恥ずかしい」という真っ当な声があがった。それとおなじだ。なぜ、嫌韓を煽る人々は、逆にして考えてみるという簡単なことができないのだろうか?