林:ほぉ~。今のお子さんの年齢が、也哉子さんの人生の転機の時期と重なってるんだ。本木さんとはどうですか。
内田:私たちも別れそうになるぐらいの危機は何度もあったんですよ。だけど、本木さんは辛抱強くて、もっと大きな絵が見えてる人なんですよ。私はどっちかっていうと父の遺伝子が強いのか、目の前のことでワーワー騒いじゃうんですけど、本木さんは反対の性格で、あの俯瞰性と待つ力がなければ今の私たちはないと思うんです。
林:なるほど。
内田:忍耐強いわりに、大きなものに平気で飛び込んでいくし、そういう大胆なところが母と似ていて、晩年、母と時間を共有しているときは、とってもウマが合っているようでした。
林:そうなんですか。也哉子さんには突き放したところもあるお母さまでしたけど、お孫さんたちに対してはどうだったんですか。
内田:やっぱりベタベタはしませんでした。「そんな考え方おかしいじゃない」とかスパッと言って、泣かしたり批判したりして。
林:あら、そうなんですか。
内田:だから小さいときはみんな寄りつかなかったんです。ものを買い与えたこともなかったし。まだ子どもが小さいとき、母が私たちの部屋に入ってきて孫を見ると、孫が「見ないで!」と言って隠れちゃうんです。母の視線が痛くてコワくて(笑)。
林:でも、亡くなるときはお孫さんたちも悲しんだんでしょう?
内田:そうですねぇ。強烈な人ほど、いなくなるとみんななつかしくなるんですね。いちばん下の玄兎も、遊んでる途中でパタッと止まるから、「どうしたの?」って聞くと、「なんかさあ、ばあばに会いたいなあ」って言うんです。
林:やっぱりすごく大きな存在だったんでしょうね。也哉子さん、お母さまから「この国では、9月1日は子どもがいっぱい死ぬ日なのよ」って教えていただいたんでしょう?
内田:はい。入院中の9月1日に、母は窓の外を眺めながら、「死なないで。どうか生きて、命がもったいない」って繰り返し言うんです。頭おかしくなっちゃったのかしらと思ったら、2学期が始まるこの日に、いじめや引きこもりで暗闇から抜け出せない子どもたちが、いっぱい自殺してるんだと言うんです。死が目前になった自分と、未来ある子どもたちが自死するという対比にもどかしさを感じたんでしょうね。