ドラァグクイーンとしてデビューし、テレビなどで活躍中のミッツ・マングローブさんの本誌連載「アイドルを性(さが)せ」。今回は、「NHKを国民から守る党」を発端にミッツさんが思いをめぐらせた。
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常識を疑え。既存の風習や制度を覆せ。そんな想いや声を上げやすい世の中になりました。届くかどうかは別にして。昔からそのような思想や運動は存在しましたが、近年のそれは、紛れもなくインターネットの発達に起因するところが大きいわけで、実際にSNSを通じて革命が起きた国もあれば、国際的なテロ組織の勢力拡大にも繋がっている昨今。ここ日本でも、現行の価値観や体制に対し、今まではなかなか拾い上げられなかった声がネットの連動力によって表立つ機会が増えています。
民主主義、資本主義の社会で生きている限り、人々の暮らしは千差万別です。みんな同じなど有り得ない。そこには強弱の差、多数・少数の差というものが常に生じ、それに伴う「不平等」や「不利益」は状況・感情共に際限ありません。気付けば私も「性的少数派」と分類される側の人間として生きてきました。現代社会に対し、提案や主張したいこともそれなりにあります。ただその一方で、少数派である劣等感が自分の暮らしの活力、時には武器(メリット)となっているのも事実です。
同じ種類の少数派にも価値観の違いや格差はある。しかし今のネット社会は、あまりにも連帯性が強いが故に、少数派同士でその差異を認め合えない側面があります。多様性を叫ぶ者たちによる全体主義性とでも言いましょうか。無論、これはあらゆる事柄に言えることで、個々の権利意識の高まりと比例するかのように、価値観の二極化も今までにないほど顕著になっています。これもきっとデジタル社会の産物なのでしょう。世の中なんて所詮「回転扉」みたいなもんだと思っていた方が面白いと思うのですが。
話を戻して「多数派への劣等感」について。私の20代は、傍から見ればそれはそれはお粗末なものでした。大学を出ても就職せずに歌ばかり歌って、いつの間にかプロのドラァグクイーンになり、夜の生活にどっぷりな毎日。自分としては大いに精を出して生きてはいましたが、世間様から見れば立派な社会不適合者だったことは明白です。親の扶養で納税もせず、国民年金もろくに払わず、クレジットカードも作れなかった。それでも自我と気位だけは高く、いつか成功するはずと信じて疑わないタチの悪さ。もっともそんなのは多数派も少数派も関係ない話で、母親にはよく「アンタのやってることはただの居直り強盗だ」と言われたものです。