さっきラジオから「雲ひとつない青空で、洗濯日和」とのこと。はて、最後に見た青空はいつだったかしら。それよりも、鏡の前の私を見たのはいつ、いつ、いつだったのかしら。正直言って無念です。神様に「あなたは、目が不自由でも生きていけるわよ。」と、選ばれてしまったのですから。フランス料理のフルコースなら喜んでいただけたものをよりによって、視覚のフルコース(晴眼者・弱視・全盲)だったなんて。
しかし、嘆いていても始まらない。楽しみは少なくなってしまったけれど、苦しみもまた少なくなる。それは、諦めなければならないものは諦め、笑顔で行き直すということ。
音訳書を聴いていると、見えない事はすっかり忘れて、音訳された文章からの想像と映像の世界で頭がいっぱいになるのですから。
視覚障害者に情報をと、沢山の音訳者の方、そして朝日新聞出版様には、ご理解とご支援をいただきまして、心から感謝でいっぱいです。
「私と週刊朝日」週刊朝日編集長賞/五木田信義
私はこの9月で75才となり、世に言う後期高齢者の一人となった。若い時に網膜の病を得て徐々に視力を失い、現在は光を感じる程度の視力となり、家内に助けられて日々暮らしている。音声デイジー版「週刊朝日」は特別な週でない限り、毎週木曜日に私の手元に届いている。木曜日の私の暮らしの一コマを紹介しよう。
昼頃になると、わが家の前の通りをバイクのエンジン音が近づいてくる。郵便配達員の乗ったバイクだ。そのエンジン音がわが家の前で止まるか注意深く聞いている。
実際止まると、「あー郵便物が届いた。デイジー版『週刊朝日』も届いたに違いない」。
バイク音が遠のくのを待って、いそいそと門柱に取り付けてある郵便受けへ取りにいく。
いくつかの郵便物の中に、デイジー版「週刊朝日」があるのを確認する。そそくさと居間に戻り、早速CDを取り出しプレクストークにセットし聞き始める。