医師、弁護士、科学者……「宗教国家」を夢想した麻原彰晃の下には、高学歴で才能あふれるエリートが集まっていた。6日に死刑が執行された、「教団で最も血なまぐさい男」新実智光死刑囚と、「秘密兵器研究家」と呼ばれ教団の武装化を進めた早川紀代秀死刑囚。地下鉄サリン事件から17年となった2012年。最後の特別手配犯3人の逃亡生活にピリオドが打たれた年に発売された『週刊朝日 緊急臨時増刊「オウム全記録」』では、オウム真理教を徹底取材。麻原の操り人形として破滅へと堕ちていった彼らの、封印されたプロファイルをひもとく――。
*超有能な彼らはなぜ麻原彰晃の元に集まったのか? <教団エリートの「罪と罰」(1)>よりつづく
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■教団で最も血なまぐさい男
<新実智光(にいみ・ともみつ)>
(1)生年月日:1964年3月9日
(2)最終学歴:愛知学院大法学部
(3)ホーリーネーム:ミラレパ
(4)役職:自治省大臣
(5)地下鉄サリン事件前の階級(ステージ):正悟師
オウム真理教が起こした7件の殺人事件すべてにかかわり、計26人を殺害したとして殺人などの罪に問われた。この人数は、麻原彰晃の27人に次ぐ多さだ。
愛知県岡崎市出身で、最も古参信徒の一人。学生時代はユースホステルクラブに所属し、牛丼店でアルバイトをするなど、ごく当たり前の生活を送っていた。一方で、宗教や精神世界に興味を持ち、五島勉の『ノストラダムスの大予言』も全巻読破していたという。
大学卒業前の1986年、オカルト雑誌に掲載されていた麻原の空中浮揚写真を見て、オウムに関心を持っていた。教団の機関誌では、このときのことを、
「修行をしながら自らを高める姿勢にひかれた」
と振り返っている。オウムの前身である「オウム神仙の会」のセミナーに参加し、修行に取り組むと体が浮き上がって、光が見えた。
「もう、一生ついていくしかない」
と確信したという。
大学を卒業後、地元の食品会社に就職したが、半年で退社して本格的にオウムにのめり込んでいく。