だが、コロンビアがひたすらに不運だったわけでもない。同点ゴールのきっかけとなったFKは、本来、日本に与えられるべきものであり、この試合で主審が犯した数少ないミスのうちの一つだった。少なくとも、マイアミでのブラジルほどには、彼らは神から見放されていなかった。

 ただ、日本にとってもコロンビアにとっても、この同点ゴールの持つ意味は大きかった。

 1人少ないコロンビアは、追いついたことで安堵した。10人だということを感じさせない戦いをしてきた選手は、突如として自分たちが依然として不利な状況にあることに気づいたようでさえあった。以降、彼らの戦いは勝利ではなく勝ち点1を意識したものへと明らかに切り替えられたからである。

 一方の日本にとって、同点弾はラウンド間にボクサーが嗅がされるアンモニアのようなものだった。不快。けれども目は醒める。リードを守りたい、逃げきりたいとの思いを芽生えさせかけていた選手たちは、自分たちが相手より1人多いという事実を、改めて思い出したようだった。

 たらればになるが、もし主審のミスジャッジがなければ、日本は1点を守ろうとして汲々とし、結果的に逃げきることに成功したとしても、コロンビアの強さ、W杯のレベルの高さばかりを実感させられる試合になっていた可能性がある。

 そして、ハーフタイム。

 そこで何が語られたのかはわからない。だが、ロッカールームでの10分程度の時間によって日本は変わり、試合の様相もまた変わった。

 20年前の初出場以来、日本が南米勢に勝ったことはなかった。そもそも、1938年のフランス大会にオランダ領東インド(現インドネシア)が出場して以来、アジア勢が南米を倒したことは一度もなかったのだ。

 それでも、2018年6月19日の日本は勝ちにいった。守りを固めて相手のスキをつくのではなく、自分たちが主導権を握り、チャンスの数で相手を圧する道を選んだ。それは、トルシエや岡田武史が選んだのとはまるで違う、そしてザッケローニやアギーレが目指したものの、目的地まではたどり着けなかった道だった。

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