そうそう、ヤンキーとファンシーは紙一重。「ヤバい」と「かわいい」という言葉が、本来の意味を超えてオールマイティーなように、ヤンキーもファンシーも限りなく同じ属性を持っている。それは過剰なまでのこだわりと自己主張だ。
矢沢永吉のコンサートでみんながタオルマフラーを首にかけちゃうように、ディズニーランドで、みんなミッキーマウスの耳つけちゃう。長渕剛のコスプレにサングラスとバンダナが欠かせないように、ロリータファッションにはヘッドドレスが必要不可欠。
サンリオのキティちゃんはいつまでも色あせず、かたやヤンキー魂も「荒れる成人式」に「YOSAKOIソーラン」に、EXILEに脈々と受け継がれていく。ヤンキーとファンシーは永遠に不滅なのだ。
時代をサブカル視点で懐古するこの番組。次はボディコン姿の荒木(久美子)師匠がジュリアナ東京で踊り狂った時代…とマツコで、背筋ムズムズしてみたい。
※週刊朝日 2018年4月6日号