作家・北原みのり氏の週刊朝日連載「ニッポンスッポンポンNEO」。北原氏は、豊田真由子議員の暴言・暴行事件について、既視感があるという。

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 自民党公認で国会議員になった豊田真由子氏の、怒りに我を忘れた激昂が耳から離れない。一度聞いたら十分なのに、つい何かを確かめるようにネットで何度も再生してしまう。

 河村建夫元官房長官は、「男だったら、あんなのいっぱいいる。あんなものではすまない」と語り、すぐに撤回した。麻生太郎副総理は「学歴だけ見たら一点の非もつけようのないほど立派だったけど。あれ女性ですよ女性。男と書き間違えているのではないか」と言い、「女性差別発言」だと抗議されている。

 麻生氏の真意はわからないが、女性差別というより「男じゃないのに、あんな暴力を振るうんだ」というふざけた単純な驚きだったのではないか。そもそもスクープを報じた週刊新潮も、「年上の男性に対して発する言葉ではない」と記していた。

 そうなのだ、私がひっかかるのは、どうしてもここだ。数年前、記者会見で大泣きした兵庫県の男性県議会議員がいたが、このままでは今回の“事件”もアレと同じように、「受け止めるにはあまりにも許容範囲を超えたトンデモ物件」としてだけ記憶されかねない。それはもったいない。むしろ「男だったらよくある」「女性ですよ」の声のリアルから、「ちがうだろーハゲ」“事件”を考えたい。

 
 私には、豊田氏と男性秘書のやりとりは、どこか既視感があった。3年前に「わいせつ物陳列罪」の容疑で検察の取り調べを受けた時のことだ。検事は女性で、検察事務官は彼女よりも年上(に見える)男性だった。6人が寝泊まりする留置場一部屋よりも大きい霞が関の一室で、ジャージ姿で腰縄をつけたままの私の目の前に、広い背もたれのある椅子にスーツ姿の検事が座る。検事の斜め横には事務官がいて、検事の口述をパソコンで打ち込んでいる。彼が打ち込んだものは同時進行で検事が見やすい位置に画面で表示されるのだが、私から見ても彼はタイピングが遅く、検事がイライラし、時に強い口調で叱責していた。例えば、「後悔」という言葉が出てきた時、画面を見た検事が「そっちじゃない!!」と声を荒らげた。おじさん、海に出ちゃったのかな~(航海)、と私はぼんやりと聞いていたが、縄でつながれていた私よりも、彼が「下」に見えてくるような力関係がその場に空気としてあった。後で検察組織に詳しい人に聞くと、検察は圧倒的な階級社会で、階級はジェンダーを当然超えるのだ、と教えてくれた。

 官僚出身の豊田氏は、おそらく「そのような」感覚を官僚時代に育てたのだろう。階級がものを言う社会。絶対的な上下関係で維持される組織、個の尊厳より上司の体面を守るための振る舞いが習慣として横行している職場。圧倒的な縦社会では、脅しや暴力が命令系統として意味を持つ。

 豊田氏をかばっているのではない。ただ、この人は、暴力関係に空気のように慣れている人なのだろう。そして、倫理なく、論理もなく、身勝手な暴論でやりたい放題の今の自民党政権が生んだ、とても安倍政権っぽい、象徴なのだと思う。

週刊朝日 2017年7月14日号