浪江町の住民懇談会では複数の元原発作業員から「帰町はまだ早い」という意見が出た(撮影/桐島瞬)
浪江町の住民懇談会では複数の元原発作業員から「帰町はまだ早い」という意見が出た(撮影/桐島瞬)
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 福島県の飯舘村、浪江町、富岡町、川俣町の山木屋地区で3月末日と4月1日に放射線量の高い帰還困難区域を除き、避難指示が解除された。国は、放射線量が年間20ミリシーベルトを下回り、住民が生活できる環境になったというが、原発で長年働いてきた作業員たちは異を唱える。

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 福島第一原発などで管理職として30年以上働いてきたE氏(51)は浪江町民だ。衝撃の告白を聞こう。

「今回、避難指示が解除された地区には、地表で除染基準の86倍にあたる毎時20マイクロシーベルト、土の汚染も平米当たり数百万というとんでもなく放射能汚染された場所がある。これは原発内で最も放射能汚染された『D区域』と呼ばれる場所と同レベルです」

 今回、解除された地区はいずれも被曝する環境にあるとして、住民が戻ることは危険だと訴える。さらに同じく浪江町に住むK氏(52)もこう証言する。

「私らがD区域で作業をする際に、どれだけ重装備をするか。まず手袋と靴下を二重三重にして、その上から長靴を履く。着るものは使い捨ての汚染防止服。その上から厚手のカッパを羽織ることもある。呼吸から放射性物質を取り込まないよう、顔には防毒マスクのような形をしたマスクを着けます。さらに放射線量が高い場所では、線源に鉛シートをかぶせて作業員の被曝を抑えます」

 つまり、4月から飯舘村、浪江町、富岡町などに帰るのであれば、同じような装備をしなければ危険だという。あくまで「年間20ミリシーベルトまでは安全」というのが国のスタンスだが、K氏はこう言う。

「国に騙されていますよ。原発内では通常、被曝線量を1年間で20ミリシーベルト以下に管理しています。これは法律で5年間の被曝限度を100ミリシーベルトと定め、それ以上は危険としているからです。仕事でやむを得ず被曝するのでもそうなのに、なんで一般人がそれと同じだけ被曝させられるのか。もし同じ扱いというのなら、帰宅した住民に原発作業員のように管理区域手当を出し、内部被曝を確認するホールボディーカウンターを定期的に受けさせないとおかしい」

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