
●バブルの狂騒が「アナログ派」を切り捨てた
私は新しい技術だの新製品などにはあまり興味を示さない性格です。貧乏性というのでしょうか、「使えるうちは使い切ろう」、「壊れても直るのであれば修理して使おう」と思うわけです。
だからコンパクト・ディスク(まだCDと略されていませんでした)が出回り始めた当初も、「こんなの聴くものか」と拒否反応を示していました。それに1987年頃までは新譜もLPとCDの同時発売というケースが多かったように記憶します。まだ海のものとも山のものともわからず、ジャケットを手にする喜びにも欠けるCDよりも、扱い慣れたLPをボチボチ買っていけばいいか、と悠長に構えていました。
が、1988年になると、殆どの国内盤新譜が「CDのみ」の発売になってしまいました。ブルーノート・レーベルのようにアメリカではLPとCDを並行して出していた会社も、日本プレスで出るのはCD(定価3200円。税込みでも税抜きでもありません。そもそも当時は消費税がなかったのです)だけになってしまいました。日本のレコード会社の親会社は大抵の場合、電機メーカーです。自社のCDプレイヤーの売り上げを伸ばすべく、レコード会社は「アナログ派」を切り捨て、「CDのよさ」をしつこくしつこく喧伝し始めました。いわく「音が素晴らしく良い」、いわく「74分の長時間収録」(今は80分入りますが)、いわく「光線でデータを読み取るので再生するとき針音がしない」、「ボタンひとつで聴きたい曲がすぐに頭出しできる」、「小さくて持ち運びが簡単」などなど。
余計なお世話をしてくれるものだと、私は感じました。
いったいどこの音楽ファンがいつ、「LPは持ち運びが不便だ」「LPは収録時間が短い」とレコード会社に言ったのでしょうか。
時あたかもバブル時代。この時期に電機メーカー、レコード会社は存分に懐を潤したことと思われます。
●「ボーナス・トラック」に目がくらむ
仕方ないので私もCDプレイヤーを買うことにしました。88年の終わりだったと記憶しています。当時の定価は旧作も新作も殆ど3200円でした。ブルーノート、プレスティッジ、リヴァーサイドの名盤はすでに国内盤CDとして市場に並び、そのいくつかには、LPには収録されていなかった“未発表演奏”(いわゆるボーナス・トラック。当時はなかった言葉ですが)が追加されていました。
そうした追加曲について書かれた当時の批評を読むと、だいたい次のようなフレーズに出くわします。「おクラ入りしていたのが信じられないほど充実した演奏」、「LP時代に時間の都合でカットされていた曲が、長時間収録を誇るCDに収められてやっと世に出た」、「CDの利点を最大限に生かした未発表曲入りアルバム」…。まさしく物はいいよう、言葉の魔術によってボツテイクが値千金の価値を持って生まれ変わるわけです。
私のコレクションになった最初のCDも追加曲入りのものでした。「せっかくだからLPで聴けない曲が入っているものを」と、大枚3200円払って、ホレス・シルヴァーの『ソング・フォー・マイ・ファーザー(+4)』を買いました。(+4)というのはつまり、LPよりも4曲増えているということです。
家に帰って、まず(+4)部分を再生したことはいうまでもありません。「ついにオレはCDを買ったんだ。そして今、CD追加曲を真新しいCDプレイヤーに突っ込んで聴いている。LPでしか『ソング・フォー・マイ・ファーザー』を持っていないやつは、この4曲を知らないんだろうなあ。だけどオレは知っている。どうだ!」
勝ち誇ったような気分になりながら、私は追加曲だけを繰り返し再生したものです。
●CDは「量り売り」ではない
それからもしばらくの間は、未発表曲入りのCDを買いあさりました。スリー・サウンズの『イントロデューシング・スリー・サウンズ(+6)』、デイヴ・ベイリーの『リーチング・アウト(+3)』、ビル・エヴァンスの『サンデイ・アット・ヴィレッジ・ヴァンガード(+5)』などをすぐに思い出すことができます。当時の私にとっては、CDをプレイヤーに入れたときに出る時間表示が何よりも大切でした。70分を超えていれば「ラッキー、得した!」という気分になり、45分ぐらいなら「LP並みの短さじゃん。サービス足りないんじゃないの?」とグチのひとつもこぼしたくなりました。
つまり私は当時、スーパーマーケットの量り売りに臨むような気持ちでCDに接していたわけです。味のことなど何も考えず、2個100円のみかんよりも4個100円のみかんに、4個100円のみかんよりも5個100円のみかんに手を伸ばしていたわけです。
ですが、しばらくすると「CDというものの存在」に慣れっこになってゆきます。平常心になってゆきます。「果たして収録時間が多ければ多いほどいいのか?」「既に発表されているテイクのほうがずっと良い演奏に聴こえるのはなぜだ?」、「未発表曲の追加や曲順の変更はオリジナル・アルバムのフォーマットを破壊しているだけではないのか?」といった疑問が、自分の中で頭をもたげてくるのに時間はかかりませんでした。
あれから20年を経て、私がたどり着いた結論はただひとつ。
「やっぱりオリジナル・フォーマットは偉い!」、これに尽きます。