レス・マッキャン『スイス・ムーヴメント』
レス・マッキャン『スイス・ムーヴメント』
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●寒さこそ、冬の本領

 いよいよ本格的に寒くなってまいりました。地球温暖化とはいっても、やっぱり冬は寒い。寒いからこそ冬、という気がします。

 冬の寒さがあるから、鍋物やおでん、お茶のおいしさ、暖かさが心に沁みるのです。

 何度も書きましたが、ぼくは北海道で生まれ育ちました。冬はマイナス20度なんて当たり前、水道管が凍らないように元栓を締めるのが寝る前の日課でした。家のドアは二重になっています(ひとつめのドアを開けると靴を並べるスペースがあらわれて、次のドアを開けると家の中に入れるのです)。ストーブは10月から焚きます。

 上京してからその話をすると、みんな私を怪訝な目で見ます。まるで「おいおい、エスキモー(差別用語らしいですが、使わせていただきます)が大都会に紛れ込んできたぞ、早く捕まえろ!」といいたげです。が、それが道産子(=北海道生まれの人間)というものです。松山千春だって北島三郎だって、こまどり姉妹だってみんな「寝る前の水道の元栓締め」を繰り返してきたはずです。

 10月の終わりには雪が降り始めます。でもこれは比較的短期間で溶けます。しかし次に降る雪は「根雪」と呼ばれ、5月まで溶けません。私の故郷である北海道北部は、1年の半分以上が冬なのです。

●タワー・レコードに「アメリカ」を感じた

 長く閉ざされた冬の間、私は何をしていたか。ひたすらレコードを聴き、本を読み、ごくたまに自分でも楽器をいじり、アルバイトに精を出していました。そして、お金がたまったときには札幌まで日帰りの「買い出し」に出ました。欲しいレコードが旭川市には殆どないので、わざわざ鈍行で札幌まで行って、レコードを買っていたわけです。

 私は父の仕事の都合で2、3歳ごろまで札幌にいたのですが、いつ行ってもこの街はまぶしいほどに都会でした。大きな通りの真ん中にテレビ塔があり、いくつものテレビ局やラジオ局がありました。ということはつまり、芸能が盛んだということです。マイルス・デイヴィスもウディ・ショウも札幌には来てくれましたが旭川には来ませんでした。もし私が札幌に住み続けていたら、75年のマイルス・バンドや、82年のウディ・ショウ・クインテットも絶対に見ていたはずです。

 札幌駅に着いた原田少年は、一路タワーレコードを目指します。今では日本各地にあるチェーン店ですが、当時は渋谷と札幌にしかなかったと記憶しております。外国に憧れる田舎者の小僧にとって、タワーレコード=アメリカでした。あの黄色い袋に輸入盤を入れて、旭川じゅうを闊歩したい。そんな気分にさせてくれました。

 1985年初めのタワーレコード札幌店は、確か3階建てでした。ジャズ・フロアはその3階にありました。当時はまだLPが主流で、コンパクト・ディスク売り場はレジの横にちょっとあっただけだったように思います。まだブルーノート・レコードは復活しておらず、いわゆるストレート・アヘッド・ジャズの新譜ではコンコード(アート・ブレイキー)、コロンビア(マルサリス兄弟)、ミューズ(リッキー・フォード)あたりが大きくディスプレイされていた覚えがあるのですが、正直なところ定かではありません。そしてなぜか、ぼくの訪れたときは、アトランティック盤のセールをやっていることが多く、予算の許す限りそれらを買い集めたものです。もちろんオリジナル盤ではなく、いわゆる緑赤レーベルでしたが、ジャケット・デザインが良く、しかも紙質が分厚かったので、つい他のレーベルを優先して買ってしまったわけです。

 そのようにして出会った1枚に、レス・マッキャンとエディ・ハリスの『スイス・ムーヴメント』があります。ジャケットは余白を基調としたクールなものでしたが、内容は予想していたものとまったく違いました。熱く濃く、まるでリズム&ブルースなのです。マッキャンのダミ声ヴォーカルがシャウトし、ハリスのテナー・サックスが妙な間合いで切り込んでくる。このアルバムはすぐにぼくのお気に入りとなりました。1989年に上京したときも、一緒にこのLPを連れてゆきました。電気製品など、ひとつもない部屋だったというのに。

●甲州街道に消えた巨体

 それから数ヵ月後、ぼくは新宿駅南口の交差点前で、とんでもない巨体の持ち主を見かけました。体を左右にゆらしながら、腹を突き出して歩いてくるのです。交差点のど真ん中で、私は彼に声をかけました。

「レス・マッキャンさんですか?」

「ああ、そうだよ」

『スイス・ムーヴメント』で聴いた通りの声が返ってきました。

「今、横浜で演奏しているんだ。聴きに来いよ」

 そういいながら、巨体は甲州街道を東に向かいました。

 私がマッキャンに再会したのは、それから約2年後、今は亡き東京のライヴハウス(名前も地名も失念してしまいました)で、でした。

 なにしろ大好きなアーティストなのです。ソウルフルこのうえないエンターテインメントを味わい、すっかりいい気分になった後、私は彼に『スイス・ムーヴメント』のジャケットを手渡し、サインを求めました。

「ああ、君もこのレコードを持っているのか。これは大ヒットしたんだよ。世界中のみんながこのレコードを差し出して、サインを求めてくるんだ。君で5万人目だよ」

 私は植木等に対するハナ肇になったような気分で、心の中でツッコミを入れました。

 サバ言うな、このヤロー!