ところが、大阪にミックが戻って、サウンド・チェックが終わった後、調子が悪いと言いだしたという。「医者を呼んだんだけど、今日はできないとなってしまったんです。結局、キャンセルをすることになるんですが、今、キャンセルをしたら暴動が起きるかもしれないので、大阪の責任者と話をして、お客さんをいったん会場に入れてから、ミック本人にステージに上がってもらって、説明してもらったほうがいいということになりました。万が一何かあったときのために警備を頼んだら、外に機動隊のバスが7台くらい並んでいました。お客さんも外に出たとき、ビックリしたと思いますよ。それで、たまたま何日か後に大阪城ホールで公演が予定されていない日があったんです。その日はある日本のバンドの仕込みの日か、リハーサルの日だったんですけど、それを譲ってもらいました」
そのとき、ミックのマネジャーとしてビル・グラハム(サンフランシスコの伝説的プロモーター、コンサート会場のフィルモア・ウェストのオーナー)が来ていて、ウドーの対応の良さに感激したという。
「サンフランシスコに来たら、俺が何でもすると言っていましたね(笑)。この大阪城ホールの後、東京公演は東京ドームの音楽コンサートとしては初、つまりこけら落としとして実施されたのですが、 最初の公演はミックの曲が7割くらいで、残りがローリング・ストーンズの曲だったんですけど、お客さんの反応がイマイチだったと感じたようで、次の公演からストーンズの曲を急遽増やしましたね。そういう部分でもプロフェッショナルです」
(構成/ライター・Jun Kawai)
※週刊朝日 2016年12月30日号より抜粋