じっくり振り付けが練習できたのは、そのデビュー曲だけでした。「UFO」のときは、本番2時間前に覚えたんですよ。とにかく忙しかったですね。「仮眠を45分」という世界でした。睡眠不足からだと思うのですが、毎日微熱があるような感じで、真夏でも寒くて体が痛かったことを覚えてます。
移動も大変で、衣装の上に私服を着て電車移動をしたり、渋滞に巻き込まれて車を乗り捨てたり。ご迷惑をかけたと思います(笑)。
78年には「UFO」で日本レコード大賞をいただきました。そのとき司会の高橋圭三さんが言ってくださった言葉に、すごく感激しました。「いつでも笑みをたたえ、そして、全力投球で歌いましたこの二人、そのつつましさ、優しさというものは、まさに現代の天使だろう」って。高橋さんは、私たち自身のがんばりを理解してくださったのです。それまでのつらさが全部吹き飛ぶようで、受賞よりも、この言葉のほうが嬉しかった気がします。ピンク・レディーでの活動を通して思い出深い曲は、やっぱりデビュー曲の「ペッパー警部」、そして、アメリカでも活動をしていた79年にリリースした、「マンデー・モナリザ・クラブ」です。「二人が本当にやりたかった曲を、そろそろ作ってあげようじゃないか」と阿久悠先生がおっしゃられて、都倉俊一先生が作曲してくださったディスコ調の曲です。その後、ソロ活動と並行して、ピンク・レディーは何度か再結成を繰り返し、2010年に、「解散やめ!」宣言をして、継続した活動を続けています。ケイと二人で衣装を着てステージに立つと、スイッチが切り替わり、自然とピンク・レディーになれます。時間を超えちゃいますね。
※週刊朝日 2016年9月30日号