キッシンジャーと田中角栄 (c)朝日新聞社
キッシンジャーと田中角栄 (c)朝日新聞社
この記事の写真をすべて見る

 ロッキード事件から40年。空前の田中角栄ブームが起きている。しかし、フォード大統領図書館に所蔵されている会議録によると国務長官のキッシンジャーは、「私の経験では、田中は生涯、本当のことを口から発したことが一度もない」と発言したという。当時の米国政府は角栄をどうみていたのか、朝日新聞編集委員・奥山俊宏氏のルポをお送りする。

*  *  *

 1972年7月、田中は佐藤栄作の後を継いで首相になった。ニクソン政権の国家安全保障会議の資料によれば、それまでの歴代首相と異なり、田中は当時、米国政府にとって未知の政治家だった。

 在日大使館が国務省に送った公信(71年4月)によれば、「契約業者とのつながりに由来するほのかな腐敗のオーラ」も田中の弱点だと分析された。在日大使館の公電(72年6月)によれば、現首相・安倍晋三の祖父である元首相の岸信介は内密に米大使館員に「田中はスキャンダルの疑惑や『黒い霧』取引に関して左翼に攻撃されやすい」と言い、「進展次第では首相辞任が不可避となり、その結果、野党連合政権になりかねない」と心配してみせた。

 岸、その弟の前首相・佐藤、その系譜に連なる前外相の福田赳夫は米政府にとって、よく知る政治家だった。しかし、田中はそうではなかった。

 佐藤政権末期の同年6月、次の首相が福田になるのか田中になるのか半々の可能性があると言われていたとき、来日した大統領補佐官、キッシンジャーは首相の佐藤に言った。

「我々は田中氏を知りません。我々は福田氏を完全に信頼しています」

 つまり、米政府としては田中を信頼していない、というのだ。

 実際、6月11日にキッシンジャーは外相だった福田に会うと、ハーバード大学時代の教え子にあたる中曽根康弘に福田支持を働きかけてみようとジョークを飛ばし、「次の総理が決まりましたら、日本の新しい首相と大統領の会談を夏のうちにハワイまたは西海岸で開くのがいい」と持ちかけた。

 その翌日、キッシンジャーは、佐藤内閣の通産相だった田中とホテルオークラで初めてサシで会った。

暮らしとモノ班 for promotion
香りとおしゃれ感を部屋にもたらす!Amazonでみんなが「欲しいアロマディフューザー」ランキング
次のページ