衆院議員小沢一郎おざわ・いちろう/慶応大学卒。69年に衆院議員初当選。旧田中派に所属し、自治大臣、自民党幹事長、民主党代表などの要職を歴任し、現在は「生活の党と山本太郎となかまたち」共同代表(撮影/写真部・松永卓也)
衆院議員
小沢一郎

おざわ・いちろう/慶応大学卒。69年に衆院議員初当選。旧田中派に所属し、自治大臣、自民党幹事長、民主党代表などの要職を歴任し、現在は「生活の党と山本太郎となかまたち」共同代表(撮影/写真部・松永卓也)
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 今、田中角栄下首相を描いた角栄本が急増している。今年1月になってからも、石原慎太郎『天才』、栗原直樹『田中角栄の青春』、石田伸也『角言』が出た。旧田中派に所属した、小沢一郎衆院議員が振り返る。

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 オヤジのことはいい思い出だった。全ては走馬灯のごとく。年を取るとなおさらだね。僕は27歳のとき、初当選し、田中角栄、オヤジの門をたたいた。学んだことは数知れない。おっかなかったさ。こっちは1年生議員だし、何の経験もないし。オヤジは当時、自民党の大幹事長だもの。僕はオヤジの早世した長男と同い年でね。だから、オヤジは僕を息子みたいにかわいがってくれた。あの当時、オヤジに反目した「青嵐会」は口先だけは批判をしていたけれども、面と向かってオヤジに言える議員は一人もいなかった。そりゃそうだよ、中川(一郎)さんであれ、渡辺みっちゃん(美智雄)であれ、(石原)慎太郎さんであれ、誰も言えない。オヤジの世話になっていたんだから、本当は文句は言えないわネ。

 政治というのは、やっぱりカネがかかる。そういう点で、オヤジのところにはカネが集まったし、人の面倒もみた。集まったカネをため込んで使わない人もいるけれども、田中のオヤジはそういう意味では気前よく使ったね。

 今の時代に田中角栄ブームが起きたのは、オヤジが「決断と実行」をキャッチフレーズにした政治家だったからだと思う。オヤジはいつも部下たちに、「思いっきり仕事をしてくれ。責任はすべて私が背負う」と言っていた。今、政界でも社会全体でも、なかなか決断する人がいないのは、「決断」は責任を伴うから責任を負いたくない人間ばっかりだからだろう。慎太郎氏の書いた『天才』という本が売れてるらしいけど、オヤジの身近にいたわけじゃないから、本当のオヤジのことは知らないと思う。ただ、『天才』というのは当たっているネ。オヤジは天才に決まってる。高等小学校卒の学歴で、総理大臣になり、今太閤といわれたんだもの。凡人でなし得ることではなかった。でも、エジソンは「天才は1%のひらめきと99%の努力」と言ったでしょう。オヤジは努力の人でもあった。

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