数多くのタレントやお笑い芸人を輩出している芸能プロダクション「吉本興業」。その礎を築いたのが、夫・吉本吉次郎(のち吉兵衛、通称泰三)さんと大阪で演芸興行を始めた吉本せいさんだ。孫の吉本圭比子さんがその素顔を語った。
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私の祖父・吉本泰三はもともと大阪の荒物問屋の若旦那だったんですけれど、芸事が大好きで、芸人を連れて剣舞に興じて留守にしてばかり。折からの不景気もあって、明治44年頃に5代続いたお店を倒産させてしまいました。ちょうどその頃、天満天神裏の第二文芸館という演芸場の買収を勧められ、寄席を始めたのが吉本興業の初めです。
祖母のせいをモデルにした山崎豊子さんの小説『花のれん』では、このとき主人公が「あなたの好きな芸事なんだから、やってみたら」などと後押ししたことになっています。でも、せいは晩年、「わてはそんなこと言うてまへんで」と周囲にもらしていました。かつて芸人は河原乞食と呼ばれ蔑(さげす)まれていましたから、「荒物屋さんに嫁いできたのに、何が悲(かな)して芸能をやらなあかんのや」という気持ちだったと思います。でも、妻は夫に従うのが当たり前の時代。仕方なく実家に資金援助を頼み、2人で演芸場を開業したのです。
大正2年に吉本興行部の看板を掲げた2人は、その後も演芸場を買収し続け、大勢の芸人を抱えるようになっていきました。泰三は、買収などの交渉に妻のせいを派遣していました。「女の色気を使うて、少しでも安くしてもろてこい」というのがその理由。若い頃のせいはべっぴんさんと評判でしたから、相当効果があったようです。