作家・北原みのり氏の週刊朝日連載「ニッポンスッポンポンNEO」。国民的人気グループ「SMAP」が解散騒動について謝罪をしたが、北原氏は無意味だったという。

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 SMAPの解散報道から、目が離せなかった。自分でも不思議なほど強い関心で彼らを追いかけ、生放送の日は足早に帰途についた。多分、東方神起にはまってきた者として、今回のことは他人事ではなかったのだと思う。

 ご存知のように(ご存知ですよね!)、東方神起は5人のグループだった。人気絶頂だった2009年に、3人のメンバーが所属事務所と対立し、東方神起は分裂してしまった。

 当時よく言われたのが、5人一緒に独立するはずだったのに、最後の最後に2人が裏切った、ということ。巨大芸能事務所と闘った3人が勇者として讃えられる一方で、仲間を裏切り、権力に寝返った卑怯者の烙印は残った2人(今の東方神起です)に向けられた。

 そういう経験を経た東方神起ファンとして、SMAPファンの痛みや当人たちの苦しみは、既視感があり、何とか乗り越えてほしいと願っていた。

 だからこそ、なのだけれど、生放送で行われた5人の謝罪には、正直、拍子抜けした。「ジャニーさんに謝る機会を木村君がつくってくれて、今、僕らはここに立てています」と草なぎ(※)さんが緊張した面持ちで感謝を語ったことも、木村さんが「何があっても前を見て、ただ前を見て進みたいと思います」と“男らしく”宣言する姿も、内輪の仁義を切り、関係者全員で“なかったこと”にする決意しか感じなかった。

 なにこれ! ぜんぜん韓流じゃな~い!(←そもそも韓流じゃない……)。韓流じゃないどころか、東電の記者会見みたい! めっちゃ「男組織くさい」! 女心わかってない! 謝罪の意味がわかってない! 安倍政権みたい! と怒りはいろんな方向に……。

 
 今回の謝罪に限らず、これまで幾度となく目にしてきた日本社会の男たちの謝罪方法や、事の始末の付け方に、私自身が心底うんざりしているのだと思う。謝罪に屈辱を滲ませるような空気、問題を「なかったこと」にしたがる組織、責任の所在を明らかにせず、スケープゴートにした個人に全て押し付けようとする力、力ある立場が振るう“見せしめ”を黙認する社会。謝罪がただの形式化していて、誰の痛みにも寄り添うものではなくなっている。

 女性の欲望を形にし、異論はあるにせよ何十年も耐性のある「抱かれたい男」を産みだし、国境を超えたアジアのスターとなったSMAP。そんなSMAPであっても、日本の男社会の原理から逃れられず、あんな謝罪しかできなかったことが重たい。

 東方神起の分裂は、思えば、苛烈だった。中途半端に手を打たず、残された2人は未来を奪われたところから再出発した。人の心が離れることは、組織から見放されるよりも、どれほど怖かったろう。そんな経験を経た東方神起ファンとして、女の心が離れることに恐怖を感じないアイドルの会見ほど、殺伐とした気持ちになるものはない。間違った方向を向いた無意味な謝罪を、SMAPにさせるべきじゃなかった。

※「なぎ」は弓偏に前の旧字体。その下に刀

週刊朝日  2016年2月5日号