すでに終わった人もいれば、「これからが勝負!」という人もいる受験。最後の神頼みとしてよく知られるのは天神様だが、元を辿れば「怨霊」だったそうだ。
合格祈願といえば真っ先に思い浮かぶのが、湯島天神(東京)、北野天満宮(京都)、防府天満宮(山口)、太宰府天満宮(福岡)など、菅原道真を祀る天満宮系の神社だろう。
そもそも、なぜ天神様が「学問の神様」として崇拝されるようになったのか。
「菅原道真の神霊としてのスタートは、実は怨霊だったんですよ」
『「日本の神様」がよくわかる本』(PHP文庫)などの著書がある作家の戸部民夫さんはそう話す。
菅原道真は、幼いころから秀才で、学者、歌人として名高く、55歳で右大臣まで上り詰めた。しかし、時の権力者、藤原氏の反感を買い、藤原時平にでっちあげの罪をなすりつけられて失脚。京都から大宰府に左遷され、2年後に志半ばで死んでしまった。
そのころから、京都では天変地異や藤原時平の病死などが続き、さらに宮中に雷が落ちて多数の死傷者が出たという。そこから道真の怨霊と火雷天神が結びつき、怒りを鎮めるために建立されたのが北野天満宮だ。
「学問の神様として信仰され、一般庶民に広まったのは江戸時代になってからです。寺子屋に秀才だった天神様の尊像が掲げられたのが学問の神様としての始まりでしょう」(同)
※週刊朝日 2015年2月20日号より抜粋