2014年1月3日に死去したやしきたかじん氏(享年64)の残した遺産は、大阪の自宅マンションの金庫にあった2億8千万円の現金、預貯金、有価証券、ゴルフ会員権、国内外にあるマンション、不動産など計10億円以上とされる。
たかじん氏は亡くなる直前の13年12月29日、親交があったA弁護士、側近であるマネジャーのK氏を入院先の東京の病院に呼び、危急時遺言(注・死期が迫り署名押印できない遺言者が口頭で遺言をし、証人がそれを書面化する遺言)の作成を依頼している。
「たかじん氏はベッドに寝たきり。鼻にチューブが付いていて、やせ細り、話をするのも声になるかならないかというくらいの状態で、手が震え、氏名を書くのもやっとで、自筆の遺言を作れるような状況ではなかったと聞いている」(事情を知る関係者)
最終的にできあがった遺言書の中身は、約10億円の遺産のうち6億円は大阪市などの3団体に寄付し、残りはすべて32歳下の妻、さくら氏(33)に相続させるというものだった。
さくら氏はたかじん氏が亡くなる2年前にフェイスブック上で知り合ったとされ、死去の約3カ月前に結婚。百田尚樹氏の『殉愛』(幻冬舎)では最後まで献身的な看病をし、看取った妻として描かれている。
本誌が長女のインタビューを掲載した後、さくら氏は「フライデー」(12月26日号)に手記を掲載し、前出のA弁護士が作成した遺言書を公開。数々の疑問に対し、反論している。
だが、『殉愛』でも手記でも全く触れられていない不可解なことがある。たかじん氏の遺言書を作成し、遺言執行者となっていたA弁護士はたかじん氏の死後、さくら氏から遺言執行者の解任審判を大阪家裁に申し立てられ、辞任しているのだ。何があったのか。
謎を解くカギの一つは、たかじん氏の大阪市内の自宅にあった二つの金庫だ。
さくら氏が家裁へ提出した署名入りの陳述書などによると、金庫の中にあった現金計2億8千万円のうち、一つの金庫に入っていた1億8千万円は自分のものと主張している。
この点が『殉愛』ではまったく触れられておらず、≪彼女(さくら)が受け取ったの(遺産)は、預金以外の大阪と東京のマンションの権利その他だけだ≫と記されていた。
遺言作成を依頼した際、たかじん氏はA弁護士とマネジャーに預貯金、不動産など自身の財産を説明し、金庫内にある現金の正確な額を確認してきてほしいと、金庫の暗証番号を教えている。2人はその後、すぐに大阪に向かい、二つの金庫を開け、たかじん氏の説明通り2億8千万円が入っていることを確認した。
A弁護士は遺言作成の証拠とするため、その様子をビデオで撮影した。さらにさくら氏から当面の生活費として1千万円を金庫から取ってきてほしいと依頼されていたA弁護士は、翌30日、さくら氏に金庫から取り出した1千万円を手渡し、預かり証への署名とサインを求めた。ところが、これらの行動に、さくら氏は陳述書で不満を述べている。
≪主人がまだ生きているにもかかわらず、(略)出すのにいちいちA弁護士の許可を取らなくてはいけないのかと不安になりました。(略)31日、金庫内を撮影したビデオや預かり証について主人に言うと、なんで預かり証やねんと怒り、最後の力でノートに「現金さくら」と書いてくれました≫
たかじん氏の死後、亀裂は決定的となった。A弁護士が家裁に提出した陳述書などによれば、さくら氏に呼ばれ、1月中旬に自宅を訪れたA弁護士は、「金庫の中の現金は私のものだったことにしてほしい」と相談されたという。前出の関係者がこう言う。
一方、さくら氏の陳述書によると、その時の状況はこうなっている。
≪1月17日になって、私はA弁護士に、改めて、なぜ自分の金庫を開けてはいけないのですかと問い合わせました。それまでA弁護士からは金庫を開けてはいけない、もし開けて「金庫内のお金を使うと奥さんを相続人から外すこともできますよ」などと言われていたからです≫
≪私と主人との間では2年前に業務委託契約書を作成し、毎月一定額の支払いを受ける約束にもなっており、私が現金を受け取ることになっていましたので、私の現金があっても不思議ではありません≫
さくら氏はこの件について、「週刊新潮」(12月18日号)で新たな主張をこう展開していた。
≪私と主人は業務委託契約は交わしていましたが、それはただの書類に過ぎず、私は1円ももらっていません。一方、2人の生活費として主人は毎月、いくばくかの現金を私に渡していて、私がやりくりする中で余った分は、100万円ずつまとめてリボンでくるみ、主人が私の金庫に入れておいてくれたのです≫
陳述書と矛盾する説明に変遷している。
(本誌取材班)
※ 週刊朝日 2014年12月26日号より抜粋