井上真央が主人公の文(ふみ)を演じる来年のNHK大河ドラマ「花燃ゆ」。吉田松陰の妹であり、その仲間と2度の結婚をした彼女だが、その子孫である楫取(かとり)家5代目当主・楫取能彦(かとりよしひこ・67)氏が、その結婚当初を明らかにした。
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兄・松陰と文、楫取家との関係を振り返ると、まず楫取素彦(もとひこ)は、松陰の妹で文の姉である寿(ひさ)と最初に結婚したんです。寿が病気で亡くなり、そのあとに久坂玄瑞(くさかげんずい)の夫人だった文と結婚することになりました。55歳のときでした。素彦の人生の後半を支えたのは文だったんですね。文は、素彦との結婚前に美和子と名前を変えているので、楫取家の子孫として、ここからは美和子と呼びますね。
その前にまず松陰と素彦との関係ですが、素彦は儒学を学んでいて、明倫館(萩の藩校)の教師をしていたんです。松陰とは先生仲間という感じですね。松陰が野山獄に投じられたときは、代わりに松下村塾で指導に当たり、松陰からの信頼も厚かった。このとき、美和子の最初の夫である久坂玄瑞も塾生として学んでいました。
その後、美和子は41歳のときに素彦と再婚します。美和子の母の強いすすめがあり、悩んだ末、決断したといいます。素彦は群馬県令になっていました。
嫁ぐとき、美和子は亡き夫・久坂からの手紙を抱いて持って来ました。忘れられない大切な思い出だったんでしょうね。現代の感覚でいうと、「昔の亭主のことをまだ忘れられないのか」というふうに、ひと悶着あるかもしれないんですが(笑)。その手紙を素彦が「涙袖帖(るいしゅうちょう)」として、きれいな巻物にしたんです。久坂と素彦は同志でしたから、素彦にとっても大事な忘れ形見だったんだと思います。それが、今もわが家に残っています。
久坂の妻をもらうというのは、彼の思いや思い出も背負うということ。また、美和子は松陰の妹で、前妻(寿)の妹でもあります。ただの夫婦じゃないというか。絆が深かったと思いますね。
美和子がどういう人だったかという資料はあまり残っていないのですが、明治40年生まれのうちの父親(松若)から、子供のころ、美和子にとても可愛がってもらったという話を聞きました。
2人で散歩をしているときに、道普請(みちぶしん)していたんだそうです。それを見て父が、これからこんなふうに道ができていくと説明したら、本当にそのとおりにできあがっていくので、美和子が「松若は賢い子だ」と褒めたとか。
そんなふうに可愛がってもらっていたものだから、素彦・美和子夫妻に対する思い入れがあったんでしょう。私と兄の名前に、素彦と同じ「彦」の字を入れました。それまでずっと、直系では誰にもついていなかったんです。私も息子がいるのですが、「彦」の字はつけていないんですよね。こんなことになるなら、つけておけばよかったな(笑)。
※週刊朝日 2014年6月6日号