久田恵(ひさだ・めぐみ)1947年、北海道生まれ。ノンフィクション作家。『母のいる場所』(文春文庫)、『シクステイーズの日々』(朝日文庫)など著作多数 (c)朝日新聞社 @@写禁
久田恵(ひさだ・めぐみ)
1947年、北海道生まれ。ノンフィクション作家。『母のいる場所』(文春文庫)、『シクステイーズの日々』(朝日文庫)など著作多数 (c)朝日新聞社 @@写禁

 ノンフィクション作家の久田恵氏は、自身が行った親への介護は過剰だったところがあるとこう振り返る。

*  *  *

 私は末っ子で4歳上の姉と2歳上の兄がいます。同じ親に育てられても、それぞれ親との関係は個別。育てられ方が違うから、性格も全く違ってくるんです。

 姉は最初の子どもなので、本当に手をかけられたんじゃないかと。親子ゲンカもしょっちゅう。私は子どもながらに「お姉ちゃんはわがままだ」と思っていました。

 3番目の私は母が子育てに少しうんざりしていたのか、手をかけられた記憶があまりありません。母に逆らったりケンカしたりしたことがない。母の愛に飢えていたように思います。

 私が34歳で離婚し、息子が8歳のとき、父が退職したのをきっかけに両親と同居しました。その1年後、母が脳梗塞で倒れて失語症に。39歳で私の介護生活が始まったのです。

 私は、親を介護する子には特徴があると思います。「長男」とか「末っ子」とかではなく、「親の愛に飢えている子」。私がそうで、母にほめられたい、こっちを向いてほしいという気持ちが強く、人一倍世話をしました。母が好きだから。今思えば過剰だったかもしれません。兄や姉に対して「お母さんの介護のことをちゃんと考えて!」とすごい勢いで文句を言ったりもしました。

 きょうだいといえども成人してからはまったく別の人生を歩みます。兄は大企業のサラリーマン、姉は専業の主婦、かたや私はフリーの物書き。価値観も考え方もまったく違うんです。

 母を在宅で介護して10年目、介護の負担が重くなり、いよいよ老人ホームに入居してもらわないとやっていけなくなったとき、私はいきなり「お兄ちゃん、会社からお金借りて。退職金の前借りなら1千万円くらい大丈夫でしょ」と電話して驚かせました。

 兄の勤める会社なら貸してくれるはずだと。よく聞いてみたら親の蓄えで十分だったのに先走ったんです。今思えばメチャクチャな妹でした。

 姉は長男と、兄は一人っ子の女性と結婚し、いずれも新幹線で2時間ほど離れた土地で家族と暮らしている。私が両親の介護にかかわった約20年間、それぞれが期間や程度はともかく、介護の問題を抱えていました。でも、その事情を互いに深いところまでは理解し合えていなかった。

 介護の実態は離れて暮らしているとわかりません。姉も兄も冷たい人じゃないし、親のことも考えて心配していたのに、互いにその大変さを理解できないから行き違ってしまう。振り返ると「大変なんだから!」とか「なんで私ばかり?」といった感情をぶつけるのではなく、もっと具体的に伝えればよかったと思います。例えば「○日まで介護を交代して」とか「△△に使うから××万円送金してほしい」とか。

 母の他界から2年後、今度は父の介護が始まったのですが、姉か兄嫁が月に1回程度、2泊3日で手伝いに来てくれました。母がなくなったときに「父の介護までは私はできない!」と泣いて言ったからかもしれません。

 そこから私たち3人が相続の問題と向き合うことになったのですが、まったくもめませんでした。父がきちんと遺言書を書いていたから。財産目録を作成し、私に渡したものと同じ書類を兄にも送っていました。「恵はなくしたりする可能性があるから」と(笑)。

 最終的に私たちきょうだいはなんだかんだ言ってもめなかった。もちろん介護の中には一時的な感情のもつれはあったのかもしれませんが、それは「きょうだいゲンカ」のようなもので済みました。父が自立した老人として最後まで自分で始末をつけた。お手柄です。

週刊朝日  2014年5月2日号