吉田元所長の入院先の病院では、マスコミと接触しないように東京電力の社員が“監視”していたという情報もある (c)朝日新聞社 @@写禁
吉田元所長の入院先の病院では、マスコミと接触しないように東京電力の社員が“監視”していたという情報もある (c)朝日新聞社 @@写禁
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 2011年3月11日の東日本大震災で水素爆発を起こした福島第一原発事故。当時の所長で、絶体絶命の危機回避の陣頭指揮をとった吉田昌郎(まさお)氏が7月9日、食道がんで亡くなった。吉田元所長がはじめてマスコミの前に姿を現し、取材に応じたのは事故発生から8カ月がたったころだが、その数か月前に本誌は吉田元所長の「肉声」を聞くことができていた。その言葉は、事故を起こしてしまった無念の思い、収束にかける情熱に満ちていた。

*  *  *

記者:3月11日、日本、いや世界が経験したことのない事故が起こった。

吉田昌郎元所長(以下、吉田):私がまず頭を下げなくてはならないのは、故郷に戻れない福島の方々です。すまない気持ちでいっぱいだ。現場トップの私の責任です。

記者:吉田さんも福島で長く勤務されている。

吉田:そうですね。原発のある浜通りは第二のふるさとですよ。そこが原発事故のせいで住めない状況になって、申し訳ない。早く事故を収束させて、元の浜通りにしたい。それが私に課せられた使命です。

記者:原子炉建屋が次々と爆発を起こした。一歩間違えばもっと被害が拡大していたのでは?

吉田:うん、福島だけでなく日本の東側は深刻なことになったかもしれません。

記者:なんとか踏みとどまれたのは?

吉田:現場のスタッフが不眠不休で作業にあたってくれた。自らの命を顧みず、現場に飛び込んでくれた。自衛隊や消防、警察など各方面の皆さんにも、本当に過酷な状況下、大変困難な作業をお願いし、やっていただき、しのげた。それをメディアは報じてほしい。

記者:事故の収束作業について、この方法でいいのかなど、さまざまな指摘がある。現場で指揮していてどう感じるか?

吉田:現状できるベストの方法でやっている。雑音がいろいろありますが、私のなすべきことは一日も早い収束。そのために日々やれることを積み重ねて、少しずつでも前進できるようにやっていく。

記者:東京電力や政府の発表内容と現場の状況がどうも違うという声がある。事故現場の事実がきちんと公表されているのか?

吉田:どのような広報、発表がされているのか、現場の私はすべて承知していません。原発はきちんと公開することが原則であることは、事故の前も後も変わりない。

記者:今は仮設の装置で原子炉を水で冷却しているだけ。まだまだ心配では?

吉田:放射線量が高く、近寄れない場所も多く、現場作業は危険を伴う。防護服と全面マスクで暑さや雨など気象条件も厳しい中、現場は高いモチベーションで頑張っています。私はそれを引っ張っていきます。元の福島、浜通りになるようにやるだけ。いかなることがあってもやり遂げます。

週刊朝日  2013年7月26日号