秋山成勲は44歳になった。
【写真】本当に40代? 今でも“完璧”に鍛え上げた肉体を維持する秋山成勲
柔道を経てプロ格闘家に転身したのが2004年。その後、クリームを塗布して試合を行った06年の桜庭和志戦は今も批判を集めている。
「そのことについては自分が何か話したり発言をしたところで何も変わらないですし、桜庭さんに対しては申し訳ない気持ちでいっぱいです」
同時に次のようにも言う。
「こうやって表に出る以上よく言う人もいれば悪く言う人もいるので、僕が何かいいことをしても『あいつ嫌いだ』って言ったら、もう何をやっても嫌いじゃないですか。それはきっと世界中の人が同じで、嫌いなものは嫌いですし、好きなものは好きなので仕方ないと思ってます」
自分が解決できない問題からは手を離す、アドラー心理学における課題の分離を思わせる。
そんな秋山が日本を主戦場にしたのは2008年までで、09年からは世界最大の総合格闘技団体UFCにその舞台を移す。そして大会におけるベストバウトを表彰する「ファイト・オブ・ザ・ナイト」を3度に渡り獲得。12年と14年の日本大会、15年の韓国大会にも参戦した。
この韓国大会を最後に長く試合から離れた秋山だが、昨年150カ国以上で26億人の潜在視聴者を持つ団体ONE championshipで復活。ONEにおける最年長ファイターとして今も戦い続けている。
“何でも常に挑戦しろ”――それが父の教えであると秋山は言う。
「そう言われているからやる訳ではないんですけど、もうそれが頭の中に入って当たり前のようになってしまっているというか。完全に親父のマインドコントロールですよね(笑)。だからそれは、どこかに根付いていると思います」
ONE第1戦(19年6月)では20歳若いマレーシアのアギラン・ターニと対戦。最年長選手であるがゆえだが、常に若さのアドバンテージを持つ相手と戦うことは秋山にとっての“挑戦”でもある。
「やっぱり自分が若い頃、たとえば20歳そこそこの時に44歳の人とやるとなったらラクだとかラッキーみたいに感じると思うんです。普通からしたらそれは当たり前のことで、自分の倍ぐらいの年の人なんて“そんなのおっさんじゃない?”みたいに思う訳じゃないですか。でも、それを自分がこの年になって、若い奴がきっとそう思ってるだろうなっていうことを考えた時に“いや、そこは違うよ”と。まぁ、それをああだこうだ言ってもカッコよくないですし、“そうじゃないんだ”というのを言葉だけじゃなく動きや試合で見せたいと思います」